そのじつ

地獄の黙示録のそのじつのレビュー・感想・評価

地獄の黙示録(1979年製作の映画)
3.8
なかば戦場に在ることに依存状態の男ウィラード大尉(マーティン・シーン)が、脱走兵カーツ大佐(マーロン・ブランド)を始末する使命を帯びてベトナムの川を遡る旅につく。
ミッションを完遂することが彼の存在意義になっているのだが、渡された脱走兵の資料を読みこむうちに、彼の内面と対話を深めるようになる。
ついにカーツの潜伏先に到達するウィーラードだが、彼がそこで見たものとは。

有名な作品としてふたを開けてみたら、どえらい怪作でビックリ。
なにを見させられているのか分からなくなりそうな勢いで珍百景が次から次へと押し寄せる。
空爆で炎上する椰子の密林を背景にドアーズの歌が流れるシーン、誰が戦闘員なのかわからない戦場の混沌、戦闘中まったく防御姿勢をとらずにサーフィンの話をし続ける指揮官・・・あっけにとられるしかないカオス。
なにをどう読めばよいのか手ぶらでは無理だった。

松本次郎の『女子攻兵』という漫画を読んだことがあり、それがこの『地獄の黙示録』のオマージュだと聞き及んでいた。その松本次郎の読み筋を踏襲しながら見ることで、なんとなく面白く見ることができたのかもしれない。
それは露悪的ブラックユーモア、戯画的地獄絵図カタログである。

戦争をしなければならないという事実は政治の失敗を指している。という言い分を聞いたことがある。その失敗の尻拭いを国民の生命で贖っている。戦闘のせの字も理解できない青年たちが殺したり殺されたりしている様はまさにそう。
しかし主人公と彼が追う人物は職業軍人で戦闘のエキスパート。彼らがオトシマエをどうつけるのかが見所だった。
カーツ大佐のオトシマエはもうひとつシックリこなかったけれど。ウィラードが初め抱いたイメージや、カメラマンが吹聴した偶像よりも当たり前の観念におさまる人物像だった。ま、歌舞伎で菊五郎が出てきたみたいな大物感と口跡のインパクトは凄かったけど。ほぼ闇で隠れてますが。
マーロン・ブランドが後に出た『D・N・A』はこのカーツのイメージがオーバーラップさせてあるんだね。すんごい変だ!と当時思った「おとうさま」。

ウィラードを演じたマーティンの透徹した瞳の色が印象的だった。激しい戦闘地域においてもなんの感興も浮かべない(でも無表情でもない)あの顔に惹かれて最後まで見てしまったのかもしれない。彼は最後に何を行うのか、何を言うのかを知りたくて。
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