ヨーク

ここに幸ありのヨークのレビュー・感想・評価

ここに幸あり(2006年製作の映画)
3.9
監督の逝去に伴い追悼特集ということで渋谷イメージフォーラムで開催中のイオセリアーニ追悼特集5本目。
そしてこの『ここに幸あり』がイメージフォーラムで行われた特集上映での最後の一本になります。さらに言うと本作をもって俺はイオセリアーニの長編作品はコンプリート。まだ中編と短編で未見の作品が数本あるのでまたどこかでイオセリアーニ特集をやってほしいものだが、ひとまず長編はすべて観たのでまぁイオセリアーニは大体観たと言ってもよかろう。いやー、我ながらコンプリートおめでとう、パチパチ。
さて映画の方はどうだったのかというと、特に飛び抜けて面白かったということはないが相変わらずのイオセリアーニ節が炸裂という感じの安定感のある映画であった。まぁ傑作とか名作とまでは言わなくともイオセリアーニが好きな人なら普通に楽しめるんじゃないかな。特筆すべき部分としては、全体的にどの作品にも緩さのあるイオセリアーニ作品群の中でも頭一つ抜けて緩い作品だったと思うな。
どのように緩かったのかは追い追い書くとして、とりあえずあらすじとしては主人公は何か大臣に就いてるくらいのエリートだったのだがある日何者かにハメられるようにして失職し、それがきっかけで妻とも離婚し家も追い出されてしまう。とりあえず地元に戻ってきた主人公は母親が持っていた物件の部屋に住むことにしたがその部屋は移民に不法占拠されており彼らを追い出すために友人に協力してもらうことに…っていうのが冒頭のあらすじである。
こう書くと職を失った主人公と行き場のない移民を対比して描く社会派ドラマのように思えるかもしれないが、そこはイオセリアーニなのでそういう要素もありはしつつ、まったく堅苦しい感じの映画にはなっていない。バラ革命なんかはモチーフの一つなんだろうが…。
あらすじの前に書いたが本作はイオセリアーニ作品の中でも屈指の緩さなのでそんなシリアスな展開はしないんですよ。じゃあどういうものが描かれる映画なのかというと、職も妻も失って地元に帰ってきた主人公はとりあえず旧友と再会して飲み歩くのである。そしてその過程で知り合った女たちの家に泊めてもらい数人の女性の間を渡り歩いていく。自分が住む予定の母親が所有している部屋の移民の問題もそれと並行して描かれるが、どっちかというとそれはついでという感じで映画の主題として尺を割かれるメインの描写は無職になってふらふらしている主人公が古い友人や初対面の人たちと飲み歩く姿なのである。
さらに言うとそこで特に事件やドラマが生まれるようなことはない。いや厳密に言うと主人公が様々なトラブルに巻き込まれそうにはなるのだが、その度に友人や女たちや母親に助けてもらって事なきを得る、という展開が続くのである。何だよその映画って思うよな。フェリーニの『8 1/2』のグイドの妄想じゃないんだからさ、そこまで都合よくは行かないだろって思うけど、本作では大抵の出来事が主人公にとって都合よく運んでいってしまう。
映画のテーマとしてせわしなく忙殺されるような大臣の仕事から解放されて、人生において本当に大切なのは身近な友人とゆっくりと酒を飲みかわすようなことだ、ということは分かる。お金とか物質的な豊かさや肩書といった社会的な地位では満たされないものがある、ということを謳っている映画なのは間違いない。他作品でも描かれるホームレスと一緒にワインを飲むシーンなんて分かりやすいよね。イオセリアーニ作品の感想文でたびたび書いているように“酒と音楽さえあれば人生なんとかなるよ”というのは彼の作品に通底するテーマだし俺がイオセリアーニを好きな理由の一つでもある。
だが本作はそういうキャリア内でもぶっちぎりな緩さを描きながらも、そのようにぽんぽんと都合よく事が運んでいく主人公の姿の虚構性というのもキチンと描かれていたと思うのだ。もっとも象徴的なのはラストシーンで何となく全てが丸く収まって人生における本当の豊かさ、とでもいうものに包まれているシーンで、そのショットを少し離れた場所から画に書いている人がいるんですよね。これ超面白いよね。これは画になる場面なんだっていうことが作中で強調されていることによってそこにある虚構性がメタ的な視点を得て強調されていると思うんですよ。
これは正に『ここに幸あり』というタイトルが示すような、これこそが世の面倒くさいあれやこれやから解放された理想的な幸せな暮らしなのだ、と言いつつも、まぁそんなの作り物の中でないと成立しないんだけどね、と一歩引いた目線を提供しているように思えたんですよ。少なくとも俺にとっては。イオセリアーニという人は酒と音楽と共に呑気に生きていく人たちを描いた監督であると同時に、個人がどうしようもない社会や国家からの束縛と、その影響力の強さを描いた監督でもある。そのイオセリアーニのドライとってもいいような透徹された眼差しは本作にもあって、それが作中で画を描いている人物なんだと思うんですよね。
そのシーンが画になるような素敵な場面であればあるほどその嘘っぽさも同時に感じられてしまうという、なんとも意地悪な感じさえもするのがこの『ここに幸あり』という映画なのであると思う。だがこれは単なる意地悪というだけではなく、そのタイトルが示すようにイオセリアーニが嘘の物語としての映画を信じていたということでもあるのだと思う。本作の主人公は体制側から降りて、結局そちら側に戻ることはなかった、ということにもそのような感じを受ける。
そう考えると都合がいいだけの緩々な映画だと思える本作もしっかりとイオセリアーニ哲学が随所に行きわたっている見所たくさんの映画だと思うんですよね。ま、映画としては特にこれといった事件も起こらないので退屈は退屈なんだが、それも含めて面白い映画ではありました。
これで長編はコンプリートになったわけだが、やっぱイオセリアーニ面白いなぁ。最後になるがこのイオセリアーニ特集を組んでくれたビターズエンドには感謝しかない。本当に素晴らしい仕事をしてくれたと思う。というわけで中編と短編の公開もまたお願いしますよ! 待ってるからな!
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