KnightsofOdessa

WANDA/ワンダのKnightsofOdessaのネタバレレビュー・内容・結末

WANDA/ワンダ(1970年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

No.523[ワンダとオヤジと孤独な世界] 99点(OoC)

アメリカにおけるウーマンリブの全盛期に発表された本作品はその無個性で受動的な女性像から総スカンを喰らい、興行も壊滅的だった。しかし、マルグリット・デュラスやジャック・ドワイヨンがフランスで鑑賞した際に激賞し、フランスでは人気だったとのこと。ローデン自身が公開後すぐに亡くなったこともあってか、長らく日の目を見ることがなかったが、今度もフランスからイザベル・ユペールが立ち上がり、デュラスが購入した版権を整理することでフランスで再公開され、リマスターを可能にした。ユペールおばさんに感謝。

ローデン唯一の監督作である本作品は、ペンシルベニアの炭鉱町に暮らす無学な女性ワンダが夫とふたりの子供を残して家を出ていき、途中で出会った男デニスに個性なく従い流されるまま反射的に行動することで、遂には銀行強盗の手助けまでしてしまう。デニスが強盗に失敗し、再び流されるようにたどり着いたバーで所在なさげに酒を飲むシーンで幕を下ろす。

丘をトボトボと歩くワンダのロングショットから始まり、最初から最後まで変わらず孤独であるワンダを写し続ける。彼女は"なぜ"夫と子供たちを残して家を出たのか、彼女は"なぜ"犯罪者であるデニスに協力して甲斐甲斐しく世話を焼くのか。確かにワンダは無学ではあるが、ローデンの存在感や出で立ちから単に"馬鹿だから"という答えは導けない。私が思うに、ウーマンリブで理想とされたであろう"自立した女"こそ真の女であるという理論に対するアンチテーゼなのだろう。本来ならば色々な人間が居てこそ人間なだが、この手の運動が過激化すると最大多数の理想が全体の理想としてすり替えられ、それを目指さない身内まで排斥しようとする。しかし、それは本来の目的ではないし、本質ともかけ離れている。ローデンは未来で起こりうるそういった事象、或いは既に起こっていた事象について物申したのだ。勿論そんな耳の痛い忠告を激賞する人間など存在しなかったため、アメリカでは壊滅的な興行成績だったのだろう。

多くの人はカサヴェテス「こわれゆく女」との関連性を指摘しているが、私はジョン・ジョスト「Last Chants for a Slow Dance」との関連性を指摘したい。70年代アメリカンインディーズ映画であり、本来ならば犯罪と関係のなかった人間が罪を犯すというプロット、フィルムの質感と乾ききった空気感、静かな画など山程あるじゃないか。何れにせよ本作品のほうが先であるのでカサヴェテスもジョストも本作品を大いに参考にしたことだろう。

マイケル・ヒギンズの絶妙な胡散臭さが「メメント」のパントリアーノにそっくりで笑っちゃった。
KnightsofOdessa

KnightsofOdessa