Ginny

砂の器のGinnyのレビュー・感想・評価

砂の器(1974年製作の映画)
4.0
中居君主演のドラマで知った『砂の器』。
赤井英和さん、渡辺謙さん、永井大さん、何より中居君の演技と親子の旅がぐっときて最終回のラストシーンでは泣いたドラマ。
千住明さんがドラマ版で書き下ろした作中の『宿命』という楽曲に胸を打たれてピアノソロバージョンを中学生の時ピアノ発表会で弾きました。発表会前にはもう一度最終回分のDVDをレンタルして中居君の最後の演奏会シーンを見て気持ちを高めました。難しい楽譜なので弾けないパートは、先生が簡単に書き直してくれたりしたのですが、どうしても中居君みたいに弾きたいところがあって、発表会本番で先生に言わずに変えて弾いたりも。
とても旋律が美しく、物語性があふれている楽曲で。迫力もありながら緩急あり、表情をガラッと変えるところもあり、深みのある曲なのです。

自分語りすみません。思い入れがあるということです。
私がここまで『砂の器』という作品に惹かれたのは、音楽、何よりピアノが深く関わっているからだなと思います。
映画の方が先に作られているのに、ドラマ版千住明作曲の方が好きだから、映画版を受け入れられるか心配してました。
杞憂でした。

冒頭の砂の器のタイトル、オープニングクレジットから丹波哲郎演じる警官今西のシーンに至るまで、ぐっと引き込まれました。
ストーリーは大筋を知っているけれど、つなぎ方、見せ方が絶妙でうまく飽きることなくひかれていきました。
見せ方は、カメラワークで見せるというよりは時間経過、場面転換の塩梅が良いと感じました。俳優の表情だけでみせるのではなく背景の美しさ、遠くから景色も撮る、など転々と調査をする際のスケール感を映像からも感じました。事件の真実を明らかにするために調査をしているのですが、調査ひとつひとつのシーンが長ったらしくない。ちょうど良く、劇的すぎず、遠回りをしたり時間かかったりして進んでいきます。
その経過が良い。キーワード「カメダ」にしろ、地名と思ったとき現代であればインターネットを使用すれば目星はつけれるだろう。地名だけでなくても、ワード検索に条件を足していけばたどり着きそうなもの。
でも、それがない。
見当をつけて、足を運んで東北の該当地区を回る。見当外れだった。方言だから、国語研究所へ行き話を聞いてみる。気になる地方の地図を地図屋さんで購入する(かなりこのシーンは新鮮でした)、ホテルかどこかの高級感漂う喫茶店で地名をしらみつぶしで調べる…。
真実にどんどん近づいていく、といった感じが見ごたえがありました。
(知ってるのに)

和賀の『宿命』の演奏シーンと、今西による捜査報告がリンクし、秀夫と父の旅も描く。
瞬間最高とかではなく、長く良いシーンが続く続く続く。

『宿命』が本当に良い。
ドラマ版の方でも好きな演奏パートがあり、ドラマ版はかなり映画版に似せて作成してあるだろうから同じようなところがあり、苦しい旅の中、寄り添いあうわずかな幸せな親子のひと時を目の当たりにしたときはもう止まらない涙がボロボロこぼれました。
言葉で説明しづらい、整理しづらいのですが、だからこそ音楽があるのだろうと思いました。それこそ『砂の器』には『宿命』という曲が欠かせないのだと思うだろう。

和賀による父親への想い、今までの捨ててきた過去に対する思い、すべてを捨てたいわけではなく、親を恋しい思いも、三木に対する感謝もあるけれど、三木に感謝をすれば親と別れられたことを安堵したとなるのか、親を本当に疎ましく思うわけではなく、けれど戻りたいのか、あの時代が良いものだったかというとそうでもなく。難しく受け入れがたく忘れたいけれど忘れられないものというのが、音符が連なり絡み合い、オーケストラで多様な楽器の音色が鳴り響き、という『宿命』の演奏とマッチしていたと思う。

ホールの袖で演奏中待機をしていた若手刑事が
「和賀は父親に会いたいのでしょうか」と聞いた時の丹波哲郎の返しが…!返しが…………(T_T)
あ~そうだったんだとストンと納得しました。

ドラマ版最終回のあの中居君のあの演技とも繋がるしで
切なくてちぎれる思いで感動しました。

丹波哲郎が渋くて渋くてとにかくかっこよかったです。
冒頭に渡辺謙の名前あげましたが私はあまり演技が好みの俳優ではなく、ドラマ版では渡辺謙演じる警官が嫌でした。明らかにしないでくれ、調査しないでくれと思いました。
丹波哲郎>>>>>>>>>>>>渡辺謙
です。
和賀(秀夫)については、映画版では少々拍子抜けしてしまいました。
映画版では丹波哲郎の方が重き置かれていたということですかね。
ドラマ版では中居君(俳優ゆえに?)演じる和賀の苦難にフォーカスしている気がしたので。
映画版の三木さんは男気溢れる感じで良い人と感じましたが(やはり親に会わせる!というところは重苦しいけど)、赤井英和演じる三木はかなり恩着せがましい感じの演技と私は受け取り、中居君(和賀)かわいそうとすら思っていました。
和賀でいえば
中居君>>>>>>>>>>>加藤剛
でした。

永井大ポジションの若手刑事は同じくらい(笑)
ドラマ版では、本浦親子が旅に出る理由の原因が映画版と異なります。
時代も違いますし道中の親子の切ない思い出も最終回私が泣いたラストシーンも映画版には存在しません。

それでも映画もドラマもすごい良かったと思えるのです。
ドラマ版は映画版があったからこそ、あえて和賀にスポットライトを当てたのかも。だから違う面白さがありました。
それもすべてこの傑作と呼ぶにふさわしい映画があったからこそ。

古いところが活きている。
宿帳を見て、管理人の記憶を頼りに話を聞く。
映画上映スケジュールも簡単にネットで調べられるものではなく管理人に聞く。古い戸籍は現在の横書きと異なり縦書き、さらに手書きという味わい。見続けて愛されてほしい、宝と言える日本映画だと感じました。

それと、本作の本浦父の差別の原因となったハンセン病について。
最後のテロップが良かったな。
私は、ドラマ版で原因が変わっていることに不満はなく、
テロップでも言っていたけれど、病気に対する差別がなくなればなくなる話でもなく。これからもずっと、形を変え続けて存在し続けるものなのだと思う。こんなに悲しくてちぎれるものなのかはわからないけれど大なり小なり皆抱えていくものなのだと思う。

だからこそ、胸打たれて泣けたり。心震わせられるのではないかなと。
まだ、私はわかっていないことあるかもしれないけれど、、
ドラマ見返したくなりました。
あっ、情婦の存在だけはちょっと引いてしまいました、情婦にも和賀にも…ドラマ版なくてよかったなあ。
Ginny

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