矢吹

この空の花 長岡花火物語の矢吹のレビュー・感想・評価

この空の花 長岡花火物語(2012年製作の映画)
4.3
ラジオでおっしゃっていた。
「正義」ではなく、「正気」で判断すること。
正気の私であれば、ここはどう生きるべきか。
アートとは、正気を問うことなのよね。
って。それだけであってくれと。
また、思っちまう。

遠藤玲子のワンダーランド
感情旅行。センチメンタルジャーニー。

僕たちの雑学にも筋道が必要だ。
それは祈りと願いだ。
こんな言葉、気持ちが良すぎて、ウキウキする。

祈りと願いがいっぱい詰まった画面。
やはりこの男だ。
映画が音と光の総合芸術ならば、
音は祈りで、光は願いで、満たされる。
とてつもない160分。

子供達の未来のために。
12年前の少年少女たちへ。
こう明確であると、一生続く。
人は繋がっていくのだ。
つまりは単純に、子供はすべての大人の子供なので、心に従えば、こどもを産む産まんは、どっちでもええと思うよ。というスタンスは取っておきます。今ね。

紙芝居のようなカットに、
ドキュメンタリーでも、劇映画でもある必要はない。
どっちかである必要はないという。
この映画。長岡映画。

明るすぎる夜は人の心を壊してしまう。
ちゃんとそのまんまの夜をもらっておけばいいのだろう。そうじゃないと人は癒されないのかな。
寂しい時はこうして、目を閉じるのさ。
想像力だ。
映画館だって、目を閉じてしまえば。
飛行機から僕らの姿は見えなかったんだ。
想像力だ。
戦争にはまだ間に合う。
最も残酷な行為は、想像力を奪うことだ。
日本軍も米軍も、奪いに来るんだ。
戦争は、負けちゃダメだから。
メディアと爆弾は、
言葉と花火になれるはずだ。

自然災害は
どこかで、失ったものに気づく時間になったりするが、
戦争には、それがないと。いけないと。

おかしな平和。アメリカへの憧れ。
追悼。人の思い。
戦争は関係なくないんだよ。

頑張るとか、一生懸命とか、やってみようと思う。思ってくれ。

エンドマークをつけぬままで、
2012年から、未来につながる。
この映画は、今を繋いで、
また未来に繋がっていますから。
まず、
人間が育たなきゃ、生きることも育たない。
育てます。育てます。育てたいっす。

こういう作品や言葉たちが、
何よりもたくさん、簡単に人の目につくためには、これが、高級なものであってはならない。
と思う。
無料で、簡単な快楽ばかりが転がってる。
自分に対して、頑張らなくていいって言ってくれる人や嘘に、流されないでくれ。
気に食わない人を、自分の代わりに傷つけてくれるピストルに、加担しないでくれ。
その嘘は、あなたを大切に思ってるかどうか、考えてくれ、
自分をどうか、自分を大切にするために使ってくれ。
大切な自分と同じだけ、少し多くてもいいから、子供たちの未来を大切にしてくれ。
金でも、仕事でも、正義でも、プライドでもなくて、正気で判断してくれ。
テレビはもうない、映画も見れない。
この画面で、好きなものだけ見て、見せられて、人と人が、離れていく。
正気で、人を、褒めましょうよ。
矢吹

矢吹