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サクリファイスのtransfilmのネタバレレビュー・内容・結末

サクリファイス(1986年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

タルコフスキー監督、最後の作品で、
これから先の未来がある息子にささげられた作品だそうです。
冒頭のシーンを見ると、なんとなくいつもの映画にはない明るさを感じられて、タルコフスキー監督は最後の作品でようやくふっきれることができたのかな。と思った。
でも、冒頭の明るさは中盤のあるシーンによって吹き飛んでしまい、やっぱり、「ノスタルジア」や「ストーカー」、そして「鏡」と同じように、憂鬱さに覆われた映画でした。

「ノスタルジア」でいろいろ勝手に解釈したけど、
この映画は、また勝手な解釈ですけど
”「ノスタルジア」に対する自分自身の解釈はそこまで間違ってなかったんじゃないか。”
という気にさせてくれました。
というのも、アレクサンデルが17世紀のヨーロッパの地図を感慨深そうに眺めるシーンがあるんですけど、
自分にとっては「ノスタルジア」でのドミニコの演説と同じ意味だと感じたし、
核戦争が始まった時にアレクサンドルが言っていた言葉は、
タルコフスキー監督はたぶん
"今の文明の先には希望はなく、いずれ人類は終焉の日をむかえるだろう" 
ということを予期しているということかなと思う。
「ストーカー」でも、「ノスタルジア」でも、同じような意味合いのことは何となく感じていたし、
「鏡」からこの「サクリファイス」までの作品は、すごく一貫性があるように思いました。

ただ、この映画は希望を感じさせてくれる終わり方であったと思う。最後に「日本の木」と「アレクサンドルの息子」が一緒に映るシーンで終わります。
タルコフスキー監督は、今のソ連や西欧の文明にはおそらくまったく希望を見出しておらず、
希望を見出していたのは、日本の文化だったんだと思う。
アレクサンドルが庭園のストーリーを悲しげに語るシーンがあると思うんですけど、あのシーンの「欧州の庭園」は欧州の文明を比喩的に表現していたものだと思うし、
「欧州の庭園」と実は根本的に考え方が異なる
「日本の庭園」こそ、タルコフスキー監督が希望を見出していた先なのではないかなと思った。

ちなみに、「欧州の庭園」と「日本の庭園」の根本的な違いって何かというと、
欧州の庭園は、人間の手によって綺麗に整えられた、いわば人工的な美しさ が良いものとされているんですけど、
一方で日本式庭園は、自然のありのままの姿を表現することを良いこととしているそうです。(たしか)

・・たしか中学生くらいのころに、
何かの授業で学んだことなんですけど、
まさか大人になってタルコフスキー監督の映画を観るために必要な知識だったとは、思ってもなかったです。
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