やまもとしょういち

菊次郎の夏のやまもとしょういちのレビュー・感想・評価

菊次郎の夏(1999年製作の映画)
4.8
「小説にはよくある」なんてメタ的セリフがあるように「母親探しの物語」というベタな題材が丁寧に編み込まれ、演出が施された脚本によってここまで独自の質感、読後感の物語になっていてすごく心を打たれた。

コントと映画の境界をにじませるようなスタイルは、単なる感動的な話にしないヒネリであり、照れ隠しのようにも感じられたけれど、この作品はコントと映画を同時にやってるようでもある。その「二重性」は正男/菊次郎の二人の母親探し、ただ人を楽しませて喜ばせたい菊次郎/北野武のアナロジーでもあったのだと思った。その作品のあり方がとにかく格好よい。

「大きくなったら好きなところに行けばいい」
「今度誰かに連れていってもらいな」

小学3年生の正男にとって、大きくなることなんて永遠に訪れないような現実味のないことし、自分を連れ出してくれる「誰か」なんて現れない。そんな大人たちの言葉は理不尽ですらあるが、そんな正男のもとに現れたのが菊次郎だった。欲しいものは奪い、気に入らないやつは殴る。社会の規範から外れ切った菊次郎は、ありふれた悲しみを抱えてただ俯きやりすごす正男にとって特異点だった。

「祭りってそういうもんでしょう」なんてセリフがあるように、この社会は理不尽そのものだ。そのことを知り、自分の手で生きていけるだけの何かを身につけられた人間が大人というものだろうが、暴力と脅しであらゆる局面を乗り切る菊次郎には社会の理不尽なんて関係ない。その結果、菊次郎は報いを受けるわけだが、正男にはその理不尽が降りかからないようにどうにか食い止める。どうしようもない男だけれど、その菊次郎のあり方に本当の父性を見たような気がした。

カッコつけようとしてカッコがつかない格好よさ、本当に必要でないものを手に入れるために傷つく不器用さ……そんな慣れない優しさがすべて一人の人間のためにあるのだから、胸が熱くなる。

「またお母さん探しに行こうな。ボウズ、おばあちゃん大事にしな」

そう言って菊次郎は正男を理不尽から守ってやる。こうして一人の人間の人生が、世界の見え方がガラッと変わって終わる美しさ。10代の頃に見てたら人生が変わっただろうし、30代になって初めて見たのも悪くないと思わせてくれた。本当に素晴らしかった。