開明獣

博士の愛した数式の開明獣のレビュー・感想・評価

博士の愛した数式(2005年製作の映画)
5.0
この作品の原作者、小川洋子氏が、英国の文学賞、ブッカー賞の国際部門に、「密やかな結晶」という作品で、候補となったことを祝して!!

ブッカー賞は、フランスのゴンクール賞、イタリアのストレーガ賞と並ぶ、世界的に権威のある文学賞です。本賞は、英国だけでなく、カナダやアメリカ、南アフリカなどで、英語で書かれた長編小説に授与され、過去の受賞者には、ウィリアム・ゴールディング、ドレス・レッシング、V.S.ナイポール、J.M.クッツェー、カズオ・イシグロら、ノーベル文学賞受賞者や、イアン・マキューアン、マーガレット・アトウッド、ジュリアン・バーンズといった現代文学の重鎮など、錚々たる顔ぶれが並んでいます。

ブッカー賞国際賞は、2018年に、「逃亡者」で受賞した、ポーランドのオルガ・オカルチュクが、ノーベル賞を受賞したのが記憶に新しいところです。もし、小川氏が受賞すると、アジア圏からは、韓国のハンガン氏の「菜食主義者」(映像化されている。原作は強烈なインパクトの連作小説)以来という快挙になります。例え受賞出来なかったとしても、素晴らしい功績であることは、間違いありません。

その小川氏の代表作、「博士の愛した数式」の映像化作品は、原作の持ち味を損ねることなく、むしろ原作の諦観を伴う哲学的な趣き(そこが著者の長所でもあるのですが)よりも、人間賛歌よりに振ってあるのが、かえって映画という、不可逆性のフォーマットでは好ましく感じました。

自然科学の全ての学問において、それなくしては成り立たない数学を全ての学問の頂点と見なす人も少なくはありません。しかしながら、数字の持つ有限性からくる可能性と、無限性からくる不可能性という、相反する事象を相克するのではなく、共生させようという試みは、浅薄な上辺だけの唯物論には止まらない、人間が思考によって織り成す、果てしなく続く挑戦であり、そこに美しさがあるのだと思います。

物理学では、時間は存在しません。80分という線分の尺度は、ある切り取られた現象だけを抽出しているけれども、実は永遠の美しさを表しているのかもしれません。

博士のモデルは、実在したハンガリー出身の数学者、ポール・エルデシュではないかと言われています。私は偶さか、エルデシュの評伝を読んでいており、その生き様はこの作品に相通うものがあるのです。エルデシュは、ホロコーストで家族を失った後は、各地を放浪しながら、大数学者レオンハルト・オイラーに次ぐ、1,500もの論文を発表したのですが、その殆どは共著でした。500人以上もの数学者と交わり、励まし、時に論戦をしながら、数学の虜となった人たちを支え続けたエルデシュは、自身はフィールズ賞などの著名な賞とは無縁でしたが、その触媒としての才能が、数学界の下支えを担っていたのです。

この作品に出てくる、家政婦の息子は、ルートという渾名をつけられます。全ての数を平等に扱う記号、ルートは、まさにエルデシュの生き方そのものであり、博士のモデルとしてうってつけの人物だったのでしょう。

この作品の締めくくりを、我が国が誇るノーベル文学賞受賞作家、大江健三郎がこよなく愛した、英国の桂冠詩人、ウィリアム・ブレイクの詩、"Auguries of innocence”からの引用が彩ります。

博士が愛したオイラーの公式と、ブレイクの詩。一見、全く交わることのない異なる次元の二つの美しい存在を交錯させた、この作品こそ、詩と数式の架け橋としてのルートなのかもしれません。
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