イザナギ

キング・オブ・コメディのイザナギのネタバレレビュー・内容・結末

キング・オブ・コメディ(1983年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

※加筆に加筆を重ねていたら長文になってしまいました。時間ある方はのんびり読んで貰えたら幸いです。

【レビュー】
喜劇と悲劇は紙一重

自身に天才的な才能があると信じて疑わないデニーロ演じるコメディアン 【パプキン】

現実と妄想が入り乱れ、次第に現実と妄想の区別がつかなくなる。体裁良く追い払われても、社交辞令を言われて全てをポジティブシンキングで悪い意味でプラス思考で考えてしまう。

ある種、ポジティブシンキングとは現実逃避の一面もあるんだなとしみじみ。

前半のパプキンの異常な行動には恐怖すら感じたが、中盤から後半にかける彼の行動を悲しく思えてしまうのは何故なんだろうか?

きっと彼は真っ直ぐで弱い人間なんだろう。真っ直ぐで弱い故に、都合の悪い事実をポジティブシンキングで回避し、社交辞令で言われた言葉を妄想で無理やり膨張させ現実を歪め、錯覚する。

そうやって無理やり自分を正当化しないと生きていけないか弱い人物。そして彼は純粋にコメディアンとして開花したいと言う夢を持ち続けていたのだろう。しかし年齢的な焦燥感も少なからずあったはず。その焦燥感は特に序盤のジェリーの車の中の会話から感じ取れる。


この【純粋さ故の狂気】こそが中盤から後半にかける彼の行動を悲劇的に見せる要因かも知れない。

クライマックスの急展開は、前半多様されていた【現実か、パプキンの妄想かの解釈を視聴者に委ねる形】を取っているが、正直どちらが正解なんて常識的に考えればすぐわかる話。
(もし仮に、その常識って概念すら破壊したとしたら、この映画は成り立たない。夢と現実、成功者とパンピー、富と貧乏etc この映画の中には対比的な構造が沢山ある。その為、この映画内における常識という概念は絶対的な存在だと思う。)

敢えてその手法を取り、ラストの嬉しそうにも、物悲しそうにも見えるパプキンの笑顔で幕は閉じる。

松田優作も脱帽したと言うのも、納得のロバート・デ・ニーロの名演(怪演)

特に観客のパネルに向かって、ジョークを飛ばすシーンは色んな意味で鳥肌が立った。

スコセッシ監督とデニーロとの共演作をいろいろ見たいと感じた


【自分なりのパプキンに対する考察】
確かにアメリカは日本と違いビッグチャンスを上手く手に入れたら一夜にして、のし上がれる【アメリカンドリーム】【シンデレラストーリー】が存在する。

もっとも才能も運も兼ね備えているモノだけが得られるチャンスとも解釈できる訳だが。

だが、パプキンはそうは解釈しない。【この俺は天才的な才能の持ち主だ】と信じて疑わない。【自分に足りないのはチャンスだけなのだ】と信じて疑わない。

ある種、パプキンは【アメリカンドリームの弊害の犠牲者】とも言える

勿論ビッグチャンスを得て有名になっても、苦悩と苦労が日々付き纏う事は、作中でジェリーが発言している。


【ツッコミ】
①本作で決定的にパプキンの発言に矛盾を感じたのは、パプキンがジェリーに対して【俺は誰にも頼らない!!俺は自分の力だけでスターになってみせる!!!】と強気に発言したのに、後に彼が起こす事件は全て他力本願そのものだった事かな。ま、何だかんだ言ってもパプキンは弱い存在・立場だって事を言いたかったのかな?

②本作の登場人物はどこまでが本音で、どこまでが社交辞令なのか読み取りにくい部分が多大にある。特にジェリーと、ロング。ロングのパプキンのテープに対する感想は全部本音なんだろうか?と少し勘ぐってしまう。まあ結構的確でキツイ事も言っていたから、ちゃんとロングがテープを聞いた上での本音を伝えて、パプキンのテレビ出演を諦めさせようとしたとも解釈出来るが。

③序盤ジェリーにアドバイスを求め、【経験を地道に積み重ねる事が大事だ】と言われ、ロングからは【人前に立ち、力を貯める事が大事】といわれる。実は本質は同じ。パプキンはパネルの前でのコメディシーンは沢山登場するが、現実で生身の人前でのコメディシーンは終盤以外無い。それは何故か?恐らく【そんな地道な事しなくても俺はいつでもスターになれる可能性と才能を持っている】という絶対的な自惚れからであろう。
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