クロ

大地のクロのレビュー・感想・評価

大地(1930年製作の映画)
4.4
崇高な失敗作だと思った。慌てて補足すれば、描かれる対象が遺物なのであり監督の力量はすさまじい。

旧ソ連、スターリンが1928年から指揮した五カ年計画により農村の集団化と工業の重工業化が進められた。本作は当時の富農撲滅運動と農業集団化を扱っており、ウクライナの寒村に暮らす一家の世代間の葛藤、富農とそれを撲滅しようとする共産党勢の農夫たちとの葛藤を描く。トラクターの導入、パン工場の機械化、牧畜の拡大、宗教の棄却、等々。農業と工業(自然と機械)の統合的発展がこれまでとは比較にならない生産性を実現し豊かな社会を創る、そんな夢想。そして私達は後追いでその顛末を知ってしまっている。今、世界は貨幣の力で動いている。

初夏の爽やかな風が吹き、麦畑の穂は波打ち、向日葵は揺蕩う。空には入道雲。冒頭の情景だ。私が言葉にすると俄然気の抜けたソーダのようになってしまうのだが、ああ「聖なるもの」がそこに映っている、と胸が高鳴る。向日葵は中心に据えられ、隣にはそれと同じ方を向いている少女の顔が、そして空には入道雲。植物と人と空とが調和するバランスが構図の中に示される。「それ」の臨在が私達に伝わるよう描き出されているのだ、そのことに驚かされる。

劇中、富農の青年が共産党勢の農夫の青年を殺害する。青年の葬列は同胞を少しずつ巻き込んでやがて大きなうねりとなる。監督は、葬列、加害者、産気づいた被害者の母、半狂乱の婚約者、司教による並行モンタージュで悲嘆の絶頂を描く。そして場面は突然暗転、雲間から漏れた陽光が照らす中、驟雨に洗われる無数の収穫物に転ずる。人は自然から生じた鬼子であるかもしれない、しかし群れとしてみれば「聖なるもの」からの慈しみを受けるべきもの、そうあって欲しい、そんな願いだったのだろうか?

タルコフスキーは監督の作品がお気に入りだったようで、継承されていると合点するシーンが幾つかあった。大学で教鞭をとっており、教え子にはパラジャーノフがいたらしい。
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