塚本

あの夏、いちばん静かな海。の塚本のレビュー・感想・評価

5.0
どんな言葉をもってしても尻尾すらつかめない映画というものが存在する。

『あの夏、いちばん静かな海。』


ただただ、美しい、新しい、素晴らしい…

俺はこの映画について語るべき言葉を知らない…というのも、この映画はスクリーンに何も映っていないからだ。
そして何も聞こえないからだ。
もちろん、それは喩えであって、それじゃ映画は成り立たない。

「スクリーンに何かが映っている」、ただそれだけのことが、何かかけがえの無い奇跡の如くに感じさせる。
…長時間の素潜りの後、水面から顔を出して大きく息を吸い込んだときに初めて、空気の存在を知るように…そこにゴミ捨て場が映っていようが、ただ歩いてる男女が延々と映っていようが、それらは今まで観たこともない映像なのだ。

何がそうさせてるのか、どうゆう仕組みでこの映画が出来てるのか…もう何十回と観ているのに、さっばり分からない。

前作『3‐4X10月』を初めて観たとき、余りの暴力のイメージに、まるでスクリーンそのものにレイプされているような、極度の疲労感を覚えた。しばらく外に出るのも辛かったくらいにイメージの爪はこちらの魂にまで食い込んでいたのだ。

因果律や最小限の情緒など、一切を拒むプリミティブな力だ。その力に指向された暴力は絶望的なまでに純粋で無垢だ。

だが次作の『あの夏』はその力がどこにも指向されていない。
指向されないまま、ただスクリーンに『力』のみが
漲っている。

しかも、前作より力の純度が、現実にはあり得ないくらいの飽和点に達してしまっているのだ。

これは、偶然…或いは奇跡なのだろう。

北野武はその次の『ソナチネ』に於いても同じ奇跡の発現を試みる。

奇跡は二度は起きなかった。
悪い意味で成熟した武の聡明さが、純粋な凶暴さにだけ舞い降りるミューズを遠退けてしまった。

それでも『ソナチネ』は奇跡の残雫と「作家の風格」が幸せな結婚をして出来上がった、作家・北野武の最後の傑作だろう。

この『ソナチネ』をもって映画史上、他に類を見ない「幼年期」を脱し「成熟」と「自家薬籠中」の狭間で呻吟にあえぐ迷走の時代に突入する事になる。
塚本

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