塚本

大災難P.T.A.の塚本のレビュー・感想・評価

大災難P.T.A.(1987年製作の映画)
3.5
スティーブ・マーチンが盟友カール・ライナーと組んで作った「天国から落ちた男」「四つ数えろ」「2つの頭脳を持つ男」「オール・オブ・ミー」はいずれも低予算のナンセンス・ドタバタコメディだが、とにかくスティーブ・マーチンの持つ資質を余すことなく映像に焼き付けておきたい、という監督ライナーとパフォーマーとしてのマーチンの、執念を感じさせる作品群でした。「天国から落ちた男」あたりはまだ手探りの状態で、この底の見えない才能をどう料理すべきか迷っている感が拭えないが、最後の2作品、特に「オール・オブ・ミー」は脚本の良さに加えて、彼の身体能力(顔も含めて)の特異性が120%発揮された、コメディ映画史に間違いなく残る大傑作です。
…それは、
初めてチャップリンを観た時の、
初めてマルクス兄弟を観た時の、
まさにアメージングとしか言いようのない”体験”でした。

そのあとの「リトル・ショップ・オブ・ホラー」「サボテンブラザーズ」あたりまでが彼のキャリアの中において初期に位置するとすれば、その後の、中期に当たる「愛しのロクサーヌ」から彼の演技の質がかわります。超絶技巧のパフォーマンスは、スティーブ・マーチン独りを際立たせる彼のためのワンマン・ショーに陥り、ストーリーはそれに奉仕する付帯物に成り下がってしまいがちです。

ストーリーにマーチンの演技が奉仕するという逆転を初めて起こしたのが「愛しのロクサーヌ」だったのだと思います。
「シラノ・ド・ベルジュラック」を底本に書かれた同作で、マーチンは鼻の長いCyrano De Bergeracの頭文字を取った、”CD”という名の消防署長を演じたのだが、この作品における彼の演技のコンセプトは”鼻の長さ”という見た目の奇異さを、どこまでチャームポイント(愛すべき個性)に持っていけるか、に収斂しています。

エキセントリックな芸風は影を潜め、あくまでも日常の風景からの可笑しみを余裕を持って演じていました。気がつけば鼻の長くないCDは考えられない、と思わせる程に魅力的な人物像が起ち上がっていたのです。

そして「大災難PTA」です。

”PTA”とは”planes trains autmobiles”
の意。
ニューヨークの大手広告会社に勤めるニール(S・マーチン)が家族と感謝祭を祝うべくシカゴの自宅に帰ろうとするのだが、不慮のアクシデントが重なり、逆にシカゴから遠ざかってしまうという、帰りたいのに帰れない不条理コメディです。
そしてその旅に付き合うのが我らが愛すべきポッチャリ俳優ジョン・キャンディ!
彼が演じるのはデルとい名のしがないセールスマン。
この作品でのマーチンの立ち位置はジョン・キャンディのボケに対しての突っ込み役です。
つまりは”受け”の演技なんですが、ダチョウ俱楽部なんて目じゃない、リアクション芸の極北の境地を見せつけてくれます。
ここでも彼はひとつ、制約を自らに課しているように思われます。
エグゼクティブの持つ、ノーブルな佇まい、と言うか独特の”匂い”を決して損なうことなく可笑しなことをやってくれるんですね。

アクシデントを災難と思わず、その成り行きをあくまで楽しむ姿勢を崩さないデルに対して、家族のいる家に帰りたい気持ちばかりが先走って、イラついているページ。
性格も生活環境も対極にある2人の珍道中。
バディ・ロードムービーの王道ですね。
そして王道の定型通り、少しづつお互いを認め合い、自らの足りない部分を補完しながら最後は協力してこの難局を乗り越えていくのです。

やがて2人は別れますが独り電車に乗って、あとはほんの数駅というところで椅子にもたれ、ホッとため息をついた後のマーチンの演技が圧巻なんです。

…それは”思い出し笑い”なんですが、これほど多幸感に溢れた、思い出し笑いを俺は見たことがありません。
本当に表情豊かな人なんだなぁ、と。
塚本

塚本