倉科博文

夢売るふたりの倉科博文のレビュー・感想・評価

夢売るふたり(2012年製作の映画)
3.8
【総評】
身につまされ、身を切られるような思いをする映画だった
過去に囚われ、執着する人々は自ら人生の泥沼に嵌ってゆき、一方で過去を思い出として割り切り、夢を持って明日に向かって歩き出す人々へは清々しいエールに満ちた作品
途中の人間模様がドロドロとしていればいるほど、割り切った後の解放感は観るものの心を清々しくしてくれる

そして、登場人物たちの心情や存在感がとてもリアルに描かれている
それぞれの人物の中にある矛盾を抱えた思い—本当にそこにいる人の悩みや苦しみが胸に飛び込んでくるような、そんな生々しさに溢れていた

この作品を見て何故か、個人的な過去の苦い思い出が蘇ってきた
—それまでは、「浮気をする人間なんて信じられない」なんて言っていた自分が、その後にそんなことになってしまい(いや、むしろ浮気どころではなく二股か)、当時付き合っていた恋人ともう一人をいたく傷つけてしまった不始末や、全身全霊を込めて育ててくれた母を蔑ろにしてしまった幼稚さ
あの時の光景と罪悪感と申し訳なさが頭の中を駆け巡った

しかし、ラストが唐突かつ不自然なのが残念

【俳優】
主人公・里子を演じる松たか子—こんなに心模様を生活描写の中に投影する演技が出来る人がいることに驚き
特に、怒りや哀しみ、寂しさを無表情の中に宿らせる演技は何なんだろう
そして、自慰行為やほぼヘアヌードのシーンなどを必然性の中で演じ、生活感を剥き出しにする迫真、圧巻の演技
この松たか子を観るだけで、十分に価値がある

阿部サダヲ演じるもう一人の主人公・貫也—その瞬間瞬間は相手に寄り添って優しくありながらも、結果として最も残酷な仕打ちをしてしまう
自分に尽くしてくれる奥さんに感謝しながらも、その重圧に耐えかね、なんの重み(責任)もない別の女性たちのもとに走ってしまう男
本当に胸糞悪くなるクソやろうなんですが、何故か憎めない
きっと、これは男そのものなんだと思う

そして、とあるシーンでの、何か嫌な予感を感じる里子と、これから出掛けようとする時の邪魔されたくない貫也のヒリヒリとした緊張感のあるやりとりを切り取った場面では、あまりのリアルさに胸が締め付けられた

【構造】
主人公たちを通して、被害女性たちの心の変化や成長が描かれている

【構成】
大きな転換点は、映画のおよそ中間
それまでは主人公たちが失われた人生を取り返そうと二人三脚で頑張る姿が描かれるが、そこからさらに彼らは欲望を前面に押し出し、物語は転がってゆく

中間の転換点までは、二人の心の距離は縮まってゆくが、二人の共通の目標が大きくなるにつれ、逆にこころの距離が広がってゆくのが上手く物語の推進力になっている

ただし、ラストの展開はリアリティに欠け、突然不自然になる
何故こうなったのか、台無しの感すらある