倉科博文

真実の行方の倉科博文のレビュー・感想・評価

真実の行方(1996年製作の映画)
3.9
「社会問題の玉手箱」

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小児性愛、性犯罪、殺人、冤罪、DV、司法的不正、政治的不正、背任など、ありったけの社会問題を重箱に詰め込んでお節(おせち)に仕立てた挙句、俳優の色も殺さず、それどころか新人の真価を極限まで引き出すという曲芸のような腕前を披露してくれたグレゴリー・ボブリットには惜しみない賛辞を贈りたい

実際のところ、この作品はこのまま彼の最高傑作の一つとなるだろう

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「役者陣の演技」

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リチャード・ギア、エドワード・ノートン、ローラ・リニー

彼らが皆彼ららしく、そして自然な演技をしていることに、見終わったあとこうして感想を書いている時、改めて気付かされる

リチャード・ギアの弁護士は、『シカゴ』の時だってこうやってニヒルに笑って見せるし、ローラ・リニーは『ミスティック・リバー』の時だってヒリヒリするほど自分の信念に従って現実を見つめる
そして何より、エドワード・ノートンは時を超えて、『ファイト・クラブ』でまた我々にやってくれたのだ

やはり、サスペンス映画は役者の凄みや迫力と表裏一体だと思い知らされる一作となった

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最後に、やはりこの映画は、名優エドワード・ノートンの顔芸にかかっていると言っても差し支えない作品であった
おどおどしていた時の、頼りないあの眉毛
怒り狂った時のあの見上げる視線

そして、「あの」ニヤリと笑った時の上がった口角
どうしようもなく憎たらしく、同時にゾクッとする怖さ

あの弱々しさと太々しさの振り幅、コントラストを見せ付けられると、我々は溜め息しか出ない
デビュー作品であの顔を使い分けられたら、我々はなす術がない
でもあの瞬間、私は、なぜか待ってましたとばかりに、カタルシスを覚えてしまったのであ