shibamike

風たちの午後のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

風たちの午後(1980年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

片想いのお勉強。

誰かを好きになったことがありますか?
好きな人から拒まれたことがありますか?

柴三毛「若者とはかくあるべし。」
と本作観賞後、生きてんのか死んでんのかわからない夏子を思い出しながら吉祥寺で一人ごちた。


矢崎仁司監督伝説の処女作とのことで、監督のトークショー付きの回にて観賞。

まず初っぱなから面喰らう。台詞というか映画の音が全然聴こえない。自分は"劇場側のミスなんじゃないか?"と真剣に思った。ので、UPLINK吉祥寺を即座に憎んだ。が、聴こえにくいのが正しい作品とのこと。と知り、UPLINK吉祥寺に対する気持ちをニュートラルに戻した。
"聴こえにくい"という難所を辛抱して乗り越えると、ストーリーに入り込める。


二十歳くらいの娘二人が東京の狭いアパートに同居している。夏子と美津。夏子は保育士で美津は美容師。夏子は飯島直子似の丸っこい系可愛い女子で、美津はUA似のピリッと系綺麗女子。

二人は仲良しなのであるが、上映開始後速攻で我々観客はあることに気付く。
我々観客「夏子の美津に対する"好き"は友情のソレじゃねえ!」
夏子(飯島直子似)はガチで美津(UA似)が好きなのであった。
LOVE。
だのに、美津はノンケで普通に男の恋人の英男(チャラい)がいる。
で、この映画、レズビアンとか百合とかLGBTといった話ではなく、「行き過ぎた愛のストーリー」という古今東西どの人間にも多かれ少なかれついて回る話のように見えた。

美津を好き過ぎる夏子は美津の彼氏であるチャラい英男を疎ましく思うようになり、とんでもない交渉を英男に持ち掛ける。
夏子「一回ヤらせてあげるから美津と別れて。」
手当たり次第ナオンに手を出す英男は「うっす」かなんか言って、夏子をあっさり喰べちゃう。英男に喰われて呆然とたそがれる夏子。夏子は処女だったのであるが、シーツに染みた自分の血でシーツに「ミツ」と書く。
とりあえず、竿姉妹にはなった。

後日、英男がこのことを美津に喋ってしまい、美津は驚くというかビビるというか戦慄する。戦美津したのである。
美津は夏子と同居することもすぐにやめ、二人は別々に暮らすことに。

別々に暮らすようになってから、夏子は美津に対してド級のストーカーになってしまう。見ようによっては夏子の愛は1人よがりながら純度100%の透き通るほどのラブとも言える。
自分が「ウギャー!」と引いたのは、美津が家の生ゴミを捨てた際に、電柱に隠れていた夏子がそのゴミ袋を持ち帰って、自分の部屋で生ゴミをぶちまける。夏子は散乱する生ゴミの上に寝転んでひしとそれらをさも愛しげに抱きしめ、生ゴミのリンゴをかじるのであるが、自分も戦美津した。

失恋のハーバード大学主席卒業である自分としては、やはり想われる美津よりも想い続ける夏子に感情移入してしまう。夏子は美津から拒絶されたあとも毎日毎分毎秒美津のことを考えて生活を営む。一方の美津はというと、美容師の仕事をやめて夜のクラブで働き出し、金持ちそうな男性とバンバンデートしたり、どんどん新しい生活に踏み出して行く。
失恋の同業者として夏子に残酷なことを言いたいのであるが、
柴三毛「美津はもう君のことを日常で1秒たりとも思い出していないぜ。」
と言ってやって、二人でわんわん泣きたい。
夏子はそんなことわかっていたのかも知れない。それでも美津を想い続ける。

ラストは結構気障な感じで感動はしなかったけれど、監督が24歳で作った作品と思うと凄いラストである。
アメリカではオーソン・ウェルズが25歳で「市民ケーン」を作ったかも知れないが、日本では矢崎監督が24歳で「風たちの午後」を作った。とひっそり威張ろうではありませんか。
「アメリカにはエルヴィス・プレスリーがいたかも知れないが、日本にはキャロルがいたぜ!」とギターウルフのセイジも言っていたし。

上映後、監督を迎えてのトークショーにて、監督が「私は古い映画は無くなっても構わないと思っている。それよりも新しい映画がどんどん作られるべきだと思う。」的なことを言っていたのが印象的だった。

風三毛 心の一句
「風たちの 午後吹き抜ける PARCOかな」
(季語:PARCO→おしゃれ→紅葉→秋)
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