風たちの午後のネタバレレビュー・内容・結末

風たちの午後1980年製作の映画)

製作国:

上映時間:105分

3.9

あらすじ

「風たちの午後」に投稿されたネタバレ・内容・結末

2019/05/19
醜い、ということの持つ綺麗な何か。
社会規範からは到底外れたアブノーマルな行動も、夏子が垂れ流す吐瀉物も、愛する人の部屋から出た生ゴミを食べる夏子も、愛故の、という理由が付くだけでこんなにも美しく見える。
冒頭近く、あのタイトルコールが出てくるワンカット、あの画がこの物語のテーマ全てを語っている。
人間を愛するということは、無条件で美しいということ。そして、女性という存在の内部にある、グロテスクでもあるが故の美しさ。
蝿が飛ぶ程に、腐った臭いを発しているであろう「あるもの」に囲まれた夏子を写すあのラストシーンで、夏子は女性が宿命的に内部に抱え続けることになっているものを、観客には見えない形でさらけ出している。
映画であるがゆえに、我々が綺麗に捉えることが出来る生臭さを、見事に映像化しているように思える。
なぜこの映画を今この時代にあえて公開したのかがよく分からない。単館系ジェンダームービー主人公は病むか死ぬか恋にやぶれるか、ちょっとわかんないね、というあぶちゃんの歌詞を送りたいと思います。
片想いのお勉強。

誰かを好きになったことがありますか?
好きな人から拒まれたことがありますか?

柴三毛「若者とはかくあるべし。」
と本作観賞後、生きてんのか死んでんのかわからない夏子を思い出しながら吉祥寺で一人ごちた。


矢崎仁司監督伝説の処女作とのことで、監督のトークショー付きの回にて観賞。

まず初っぱなから面喰らう。台詞というか映画の音が全然聴こえない。自分は"劇場側のミスなんじゃないか?"と真剣に思った。ので、UPLINK吉祥寺を即座に憎んだ。が、聴こえにくいのが正しい作品とのこと。と知り、UPLINK吉祥寺に対する気持ちをニュートラルに戻した。
"聴こえにくい"という難所を辛抱して乗り越えると、ストーリーに入り込める。


二十歳くらいの娘二人が東京の狭いアパートに同居している。夏子と美津。夏子は保育士で美津は美容師。夏子は飯島直子似の丸っこい系可愛い女子で、美津はUA似のピリッと系綺麗女子。

二人は仲良しなのであるが、上映開始後速攻で我々観客はあることに気付く。
我々観客「夏子の美津に対する"好き"は友情のソレじゃねえ!」
夏子(飯島直子似)はガチで美津(UA似)が好きなのであった。
LOVE。
だのに、美津はノンケで普通に男の恋人の英男(チャラい)がいる。
で、この映画、レズビアンとか百合とかLGBTといった話ではなく、「行き過ぎた愛のストーリー」という古今東西どの人間にも多かれ少なかれついて回る話のように見えた。

美津を好き過ぎる夏子は美津の彼氏であるチャラい英男を疎ましく思うようになり、とんでもない交渉を英男に持ち掛ける。
夏子「一回ヤらせてあげるから美津と別れて。」
手当たり次第ナオンに手を出す英男は「うっす」かなんか言って、夏子をあっさり喰べちゃう。英男に喰われて呆然とたそがれる夏子。夏子は処女だったのであるが、シーツに染みた自分の血でシーツに「ミツ」と書く。
とりあえず、竿姉妹にはなった。

後日、英男がこのことを美津に喋ってしまい、美津は驚くというかビビるというか戦慄する。戦美津したのである。
美津は夏子と同居することもすぐにやめ、二人は別々に暮らすことに。

別々に暮らすようになってから、夏子は美津に対してド級のストーカーになってしまう。見ようによっては夏子の愛は1人よがりながら純度100%の透き通るほどのラブとも言える。
自分が「ウギャー!」と引いたのは、美津が家の生ゴミを捨てた際に、電柱に隠れていた夏子がそのゴミ袋を持ち帰って、自分の部屋で生ゴミをぶちまける。夏子は散乱する生ゴミの上に寝転んでひしとそれらをさも愛しげに抱きしめ、生ゴミのリンゴをかじるのであるが、自分も戦美津した。

失恋のハーバード大学主席卒業である自分としては、やはり想われる美津よりも想い続ける夏子に感情移入してしまう。夏子は美津から拒絶されたあとも毎日毎分毎秒美津のことを考えて生活を営む。一方の美津はというと、美容師の仕事をやめて夜のクラブで働き出し、金持ちそうな男性とバンバンデートしたり、どんどん新しい生活に踏み出して行く。
失恋の同業者として夏子に残酷なことを言いたいのであるが、
柴三毛「美津はもう君のことを日常で1秒たりとも思い出していないぜ。」
と言ってやって、二人でわんわん泣きたい。
夏子はそんなことわかっていたのかも知れない。それでも美津を想い続ける。

ラストは結構気障な感じで感動はしなかったけれど、監督が24歳で作った作品と思うと凄いラストである。
アメリカではオーソン・ウェルズが25歳で「市民ケーン」を作ったかも知れないが、日本では矢崎監督が24歳で「風たちの午後」を作った。とひっそり威張ろうではありませんか。
「アメリカにはエルヴィス・プレスリーがいたかも知れないが、日本にはキャロルがいたぜ!」とギターウルフのセイジも言っていたし。

上映後、監督を迎えてのトークショーにて、監督が「私は古い映画は無くなっても構わないと思っている。それよりも新しい映画がどんどん作られるべきだと思う。」的なことを言っていたのが印象的だった。

風三毛 心の一句
「風たちの 午後吹き抜ける PARCOかな」
(季語:PARCO→おしゃれ→紅葉→秋)
主演の綾せつこさんが後半、歯磨きをシャカシャカさせながら自宅アパートを去っていくところで幕を閉じるのかと思いきや、その後一転してストーカー劇みたいになる構成が誠にユニーク。🌹

本作、友人と某ミニシアター(地下)で鑑賞したのだが観客が中高年男性ばかりで何ともアングラな雰囲気を醸し出していた。😂

80年の映画にも関わらず所々に「現代的感覚」が散りばめられており相当ハイブロー。所謂レズビアンを描いた映画というよりも「恋い焦がれること」の大切さを強調したラジカルな内容になっている。演出的には初期の若松孝二やジム・ジャームッシュの諸作品を彷彿とさせる。冒頭と最後だけがパートカラーという点も実に巧妙。🤔

また蛇口から滴り落ちる水滴や雨などの「水」の描写が圧倒的。以前は矢崎仁司監督にはそこまで思い入れが無かったが、本作を観てやっとこの監督の真髄を見た気がする。代表作「三月のライオン」は未見だが要チェックすべき映画作家である。平成の終わりに本作を観れてホッとした。🎬

共同脚本に長崎俊一監督。この人も自主制作時代に傑作が多いと聞くが、今にして思うとスタッフ陣がやたらと豪華。
作品後半では、夏子の子どもが「母親の自分勝手で子どもがかわいそう」などと言われることがありませんように。そういう世の中が無くなりますように。と願いながら鑑賞した。
「夏子と子」のようなパターンの家族が、後ろ指差されたり、差別されたり、貧困に喘いだりしない社会が良い社会であるのは間違いがない。

夏子と子のその先を見たいと思うのは私だけであろうか? 想像するに、二人の生活は非常に苦しいものになるであろう。その時、私たち(社会)が問われるものは? 英男の責任は?

家族の問題は是枝裕和監督の十八番なんて言わずに、矢崎監督にきちんと描いてもらいたい。

それが、夏子というキャラクターを世に生んだ責任とも言えるのでは?

恋愛だけじゃ物足りない。
とてつもなく凄い映画。美しい。
もう一回見たい、何度でも見たいと思う反面、あのラストシーンだけは二度と見たくないし、思い出しただけで気持ちが落ち込む。
このまま終わらないで、赤ちゃん死んじゃう…赤ちゃん死んじゃう…美津がすぐそこまで帰ってきているというカットを入れてくれ…いや、管理人がドアを叩いてる音でもいい…とにかく赤ちゃんだけは助かるということを示唆してくれれば何だっていい。映画の価値は下がるかもしれない。芸術性は薄まるかもしれない。でもやってほしい…赤ちゃんだけは死なないでほしい…このままだと死んじゃう…頼む、終わらないでくれ…
画面に必死に祈ったが、映画は無情だった。
本当に本当に哀しすぎて、あまちゃんな自分にはとても受け止めきれなかった。
観終わったあと外の喧騒をいつもより大きく感じた。環境音の削ぎ落とされたあのこの世界にもう帰れないから悲しくなった。
だけど、外に出たらいつもの街は当たり前にいつも通りなことに、どこかほっとしている。
あのこをひとりで部屋に放って置いてはだめだって…