TA

8 1/2のTAのレビュー・感想・評価

8 1/2(1963年製作の映画)
4.5
 作家としての生みの苦しみについて、その渦中にあった自分とそれに群がる凡人への嘲笑を込めてある意味抽象的に、またある意味ストレートに”映画”という手段で強引に形にしたような作品。

 私は本作を観る度に、どうしても毎回同じ場面で吐き気をもよおすほど不快に思うシーンがある。
 主人公のグイドが製作する予定の作品のヴィジョンについて説明を求められ、何とか言葉で語った内容についてあれやこれと注文や批判を浴びせられる場面。この様子を見ていると、所謂“ブルジョア的俗物根性”というものにはたいそう反吐が出るものであることを再認識する。
 一般的に映画は個人の創造物ではないし人の解釈によって完成する様式であるが、アートに限らず何かしら作られようとしている作品について”作者に”その意図を言葉のみでプレゼンさせることが、いかにこれから作られるモノの質を貶める結果をもたらすのか、そのシーンを通じて目の当たりにし、観ていて辛い。
 辛いが、不快な周囲の雑音を突き破って差し挟まれる彼の妄想は愉快で仕方ないし、最後のシーンも決してハッピーではないものの、無理やり手を引かれてエンディングに落とし込まれるのは心地よく、快感ですらあり、そこに音と映像の力と、他の作品と一線を画すカタルシスがある。
 この感覚を劇中の言葉を借りつつ表現するなら、くだらんものを作るより破壊することの方がある意味ではクリエイティブな行為であると自然に思えてくるのだ。

 創作にはある種の純粋無垢な意欲が必要であるが、人間の底なしの承認欲求にハマり一度作品に価値が与えられると、その意欲は他人の欲望に絡め取られかねない。創作活動においてその穢れのなさを保つことは不可能に等しい。
 この作品が描いたのはある意味で作家の持つ"イノセンスの喪失"ではないかと思っている。
 それは作家としての致命傷のようで、新たな創生の息吹とも言えることだ。

 この作品が今でも目新しさを以て歓迎される理由について、私は単に映像や音楽のセンスによるものではなく作家に限らず誰もが抱えているモノ、他人には理解されにくい生みの苦しみと、破壊的な衝動の肯定があるからではないかと思っている。
 それは、私たちが密かに魅力を感じているものが、得てして目を背けたくなるような破壊的かつ退廃的な表現であったりする事も無関係ではないように思う。
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