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遠い空の向こうにのriyouのネタバレレビュー・内容・結末

遠い空の向こうに(1999年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

泣いたとか泣いてないとかばっかり言ってんのはダサいけど、これは終始泣き笑いながら観ていた。
空を駆けるスプートニクの映像が僕の初心を思い出させてくれる。

冷戦下、スプートニクはアメリカ人にとって間違いなく脅威のはずだ。生命すら危険な状況のはずだ。しかしそれは少年たちの心を掴んだ。なぜなら美しいから。
天体ショーの魅力は、遠く離れた人々が同じものを見られること。遠く離れたふたりを繋ぐこと(実際に繋がるというより、繋がると信じられること)。そしてそれがあまりにも壮大で人間を殺すなんて造作もないようなスケールの、パワーの現象であること。
君の名は。を観ればわかる。
唐突に話が飛ぶが、僕は911の「感動」は天体ショーの感動と同じではないかと思う。誤解を招く物言いだが(誤解ではないかも)、911の光景に皆感動したはずだ。興奮したはずだ。人が死んだんだ。たくさん。どうしようもない力で、美しく。これはテロリズムの孕む最も恐ろしい部分のひとつだろう。僕たちはテロリズムに恐怖するのと同じくらい魅了されていないか。
瀧と三葉は言う。「あの日、星が降った日、それはまるで、まるで夢の景色のように、美しい眺めだった」
かくいう僕もブラックホールに呑まれて死にたい人間だ。

ロケットボーイズのまったく諦めない姿勢は僕に全然足りてないものだ。何度失敗してもロケットを打ち上げ続ける。書に学び実践し失敗に学び書に学ぶ。

主人公の父親は石炭掘りをやっている。地下に進む父と上空を目指す子の対比は対照的でわかりやすい。父はちっぽけな頑固親父とされるが、しかし子に反対せざるを得ない父の気持ちもわかる。父だって石炭がもう斜陽で終わりが近いことは知っている。町の外、アメリカの外になんかほとんど出ずに一生を終えることも知っている。父は「石炭がアメリカを支えている」と誇る。だけど父は「アメリカ」なんて代物が単なる虚構だと知っているだろう。でももう父は三葉のように若くない。外に飛び出そうと激しく運動する、あまりに眩しい息子の姿を直視するのはなかなか難しい。しかし最後には息子の夢をあくまで息子の夢として直視できた。持ち前の頑固さなど、父が磨き上げた「グラン・トリノ」はちゃんと受け継がれていることを確認して。
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