次男

真実の行方の次男のネタバレレビュー・内容・結末

真実の行方(1996年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

10年ぶりに観て、アーロンとロイのことすら忘れてたくらい忘れきってて、でも大オチだけは覚えてて、そんな感じで観たけど、やっぱり驚嘆するよねー。

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・大オチを知ってるからこそ、観客の思考の導き方の巧みさに驚く。最初は誰がどう観たって「どうせアーロンが犯人だろ」な作り方をする。そして、リチャードギアだけは無罪を信じてるという構築で、逆算的に「じゃあやはりアーロンは無罪…?」と思わせる。アーロンと大司祭以外に事情をふんだんに作って、「この殺人事件の裏に隠された巨悪」みたいな方向を作る。そして中盤に明かされる二重人格。骨太な仕組みと共にそれがわかり、加熱する裁判、関心を「裁判の行方・リチャードギアはどうやって勝つのか?」に移行させる。このあたりで、「どうせアーロンが犯人だろ」が、煙に巻かれてる気がするのだ。これが上手い。本当に上手い。そして明かされる大オチ。この大オチ、単品だと大したびっくりはなさそうなものなのに、さんざん「観客の興味の方向」が揺さぶられるせいで、度肝抜かれたみたいになる。のだと思う。「実は一周回って容疑者が犯人」なんてシンプルなプロットが、こんな大オチに化ける。すごい!!

・エドワードノートンの怪演が取り沙汰されるけど、リチャードギアとローラリニーの舌戦が見事だからこそ、彼の怪演が生きてると思った。「本気でやり合う弁護士と検事が面白いこと」は、目眩しに必須。胡散臭いリチャードギアの微笑みも、ときおり危ういところを見せる強い女性のローラリニーも、素晴らしかった。

・やや複雑な構造もうまい。冒頭のギャング、検事長、彼らが渦中にいる再開発事業の利権あたりは、なかなか混乱する。必死に食らいついて、理解して、「複雑なものが絡まり合って」の様相かと思いきや…。

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前に観たときは、たしか『情婦』を観たすぐ後だった。から、十把一絡げにして「既知既知〜」と済ませた気がする。けど、本来の凄さを味わえた気がする。面白かった〜!
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