keith中村

疑惑の影のkeith中村のレビュー・感想・評価

疑惑の影(1942年製作の映画)
5.0
 人生で初めて観たヒッチコック作品がこれ。確か中1のときにテレビ放映されたんだっけ。
 その意味でも思い入れが強いんだけれど、個人的にものすごく刺さるのが主演二人の関係性。
 ジョセフ・コットン演じる叔父さんがチャーリーで、テレサ・ライト演じる姪っ子は、その叔父さんの名前をもらって、やっぱりチャーリー。本名は、「チャールズ」と「シャーロット」なんでしょうね。
 
 私の名前はカツミというんですが、これ、叔父のマサルさんの「勝」を貰ってカツミなんですよ。
 そんでもって、私も小さい頃から叔父さんが大好きで、里帰りするという日は朝からワクワクしてた。
 3歳くらいの記憶で、叔父さんが戻ってくるという日、姉から「あんた、何で今日はずっとニコニコしてるの?」って聞かれた覚えがある。見ててわかるほど昂奮してたってことですね。
 だから、序盤のテレサ・ライトのワクワクした様子は、全然他人事じゃない。
 初めて観た時、「あ~、俺と一緒じゃん!」って嬉しくなった。人生で繰り返し観ているけれど、マサル叔父のことを思い出さずに観るのが不可能な映画。
 まあ、チャーリーちゃんは女性なので、ただ大好きという以上に叔父に恋愛感情に近いものまで持ってる様子ですが。
 
 さいわい、うちの叔父は本作のようなシリアルキラーじゃなかった(当たり前か)。
 というか、私が物心ついた時には結婚していて、夫婦で里帰りしてた。ちなみに、奥さん(つまり私の叔母)の名前はカツコさん。漢字は「勝」じゃないんだけど、私の場合、叔父だけじゃなく叔母にも名前が似てることで、本作のテレサ・ライト以上の「特別な絆」を感じてましたよ。チャーリーちゃんに勝ったな、おれ。(←勝負してどうすんだ?)
 
 1943年の映画ですが、舞台はその前年1942年のようです。
 戦争が始まって間もない頃ですね。
 だから、エキストラに兵隊さんの姿がちらほら見えるし、図書館の新聞に東条英機の名前がある。
 チャーリー叔父自身も、戦争によって未亡人が増え、その未亡人たちを殺して財産を奪ってるという設定。
 
 チャーリー叔父は子供の頃、凍った道路で自転車に乗っていて、自動車に激突。頭蓋骨陥没の大怪我をしたということになっている。設定上は、それによって性格が変わってサイコパスになったということでしょう。
 ただし、チャーリーちゃん家族とは何度も会ってる、「盆正月に帰ってくる親戚」みたいな関係性らしいので(あ、アメリカに盆はないか)、それまではちゃんと社会生活を送ってきた人なんでしょうね。
 戦争の影響で、抑制してきたサイコパスの気質が現れたということかな。
 
 ちなみにうちの叔父も若い頃、軽トラックを運転していて、田んぼに落ちたという経験があるらしいのですが、サイコパスにはなりませんでした。
 
 本作は「裏窓」と並んで、「指輪」が犯行の証拠になっているんだけれど、あっちのグレース・ケリーもこっちのテレサ・ライトも、その動かぬ証拠をちゃんと薬指に嵌めて見せつけるという同じ行動に出る。
 「裏窓」では、それが「証拠を見つけたよ」という意味と同時に、なかなか煮え切らないジェームス・スチュアートに、「結婚してよ!」という意思表示をするという二重の意味があった。
 こちらでは、「証拠はおさえたから、街から出ていきなさいよ」と、その反対のダブルミーニングになっていて、そういうところもヒッチおじさん、さすがお見事。
 
 そうそう。「裏窓」での「結婚してよ」アピール解釈は、高2のときの英語の先生に教わったんでした。
 学年末で時間が余ったのか、ある日先生は、授業の最初から最後まで全部の時間を使って、「私のいちばん好きな映画の話をします」と「裏窓」を最後まで全部語った。
 そん時に、ただストーリーを説明するだけじゃなく、「映画の見方」まで教えてくれたのです。
 たとえば冒頭で言うなら、「主人公は足を骨折したカメラマンで」みたいな言い方じゃなく、「昼寝をしている男の額が汗まみれなんで、まず夏の暑い日だということがわかるんです。カメラが移動すると、彼が左足にギプスをして車椅子で寝ていることがわかる。さらにカメラが動くと、壊れたカメラ、自動車レースの事故の写真が順に映るので、主人公がプロのカメラマンで、レースの撮影中事故に巻き込まれて足を骨折したんだと、セリフがまったくないのにわかるようになっているんですね」
 そういう話し方で、「裏窓」を語ってくれたのでした。
 だから、くだんの「指輪見つけたよ」シーンもたんにそう説明するだけじゃなく、「結婚してよ」という意味もあるんだという解釈を披露してくれたのでした。
 「そこがすごくいいんですよ」なんてことも言ってた。
 「裏窓」は、その後も何回も何回も観てるけど、やっぱりグレース・ケリーの指輪を観るたびに、あの先生を思い出します。(←なんとなく「ルビーの指輪」の歌詞のような一文)
 
 我々は「映画の見方」をいろんなところから学ぶわけですが、あの先生もその意味では、私にとって、「英語の先生」であると同時に「映画の先生」でもあったのです。
 この先生の宿題で一度、「題材は何でもいいから一定量のエッセイを英語で書いてこい」というのがあって、私はそのときに初めて、「"Shadow of a Doubt"でのCharlieとUncle Charlieの関係が、自分のKatsumiとUncle Masaruに似ていて共感する」という、最初の方に書いた内容を披露したんだということも、今連鎖的に思い出しましたよ。
 
 ちなみに、その3年前の中2のときは、別の英語の先生が「サウンド・オブ・ミュージック」を1時限たっぷり使って話してくれたこともあったけれど、それはまた別のお話。
 
 デートで観に行った映画から、その時に付き合ってた人を思い出すってのは誰にもあることだろうけれど、こういう風に誰かを思い出すのも、自分で言っちゃなんだけど、かなり素敵なことですよね。
 
 今日は朝から「歩いても歩いても」「海よりもまだ深く」を何となく観返して、「あ。両方里帰り映画だ」と気づいたのでした。なので、3本目からは意識的に「里帰り映画」を観ようと思い、次に「田舎の日曜日」、そんで4本目が本作でした。
 正確に言うと、サンタ・ローザはチャーリー叔父さんの実家じゃないんだけれど、自分の経験も込みでね。
 さて、5本目は何を観ようかしら。
 クリスマスなんで、ほんとはクリスマス映画マラソンが相応しいんだけれど、今日は「里帰り映画特集」にしちゃったもんな~。
 そうだな~。シャマランの「ヴィジット」でも観ようかな。あれはある意味「究極の里帰り映画」だもんね。