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ナージャの村のcyphのレビュー・感想・評価

ナージャの村(1997年製作の映画)
3.7
福岡は田川市美術館の本橋成一写真展でDVD買ってそれきりにしていたのをいまかなと思って鑑賞 チェルノブイリ近辺の村、という記憶だけしかなかったけどベラルーシは国境近郊の村だった 原発事故により汚染され、地図から消された村に暮らし続ける6家族の1年間の記録 次作アレクセイの泉と違ってやたら感情的な日本語のナレーションが挿入されまくるので映画というよりはNHKの番組みたい、没入しづらかったものの、被写体や撮影の美しさはやっぱり言葉もなく見事 あくまで記録に従事しているのも好ましい

アレクセイの泉でも同じこと思ったはずだけど、厳しい大地に根を張り勤勉に、時にウォッカをあおりながら日々働いて暮らす彼らはまるでおとぎ話の住人みたいに映る じゃがいもの収穫、種蒔き、屠殺(大事に育ててきた豚を殺して雪の上に横たえて焼いて解体する)、貯蔵庫いっぱいの瓶詰め、自家製ウォッカ、養蜂、毎週土曜日のバーニャ 村仕事を追うことで季節の変化を語りつつ、時折差し挟まる冠婚葬祭(町中を集めての婚礼の儀、村を静かに練り歩く葬列、伝統のポルカのお祭り)や一家の引っ越しといった大きな出来事もまた眩しい 花嫁を囲んで庭先で集合写真撮る時間、木漏れ日の下トラックの後ろに積まれたソファに並んで腰掛けて運ばれていく子供たち ばあばの大好きなヤギ ハクが死んでしまったりもする わたしの大好きなヤギ 年寄りを残していくなんて もうあの子のミルクも飲めないなんて

いずれの住人も放射能の存在を意識しつつも気にしてはおらず、どちらかというと明日食べていくこと・子供を学校に通わせることといった喫緊の目に見える課題に視線を定めて生活しているわけだけど、だからこそ彼らの穏やかに暮らしの中に鎮座する村の境界に掲げられたゲート、STOPの標識、警察の存在が妙に生々しい SFみたい、と他人事のわたしが言うのは無遠慮すぎるかもしれないけど、彼ら自身はただの障害物としか考えていなくてその身軽さにくらくらする ゲートの下を潜って笑いながらまっすぐな道を歩いていく子供たち 町に住む息子へのじゃがいもの仕送りを見逃す警察 どこにでも生活はあるし、あり続けることができる 奪われることさえなければ(あるいはもしかすれば奪われた後にも)
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