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ヴィタリナのcyphのレビュー・感想・評価

ヴィタリナ(2019年製作の映画)
3.7
コンディションもあって前半のほとんどを意識を飛ばして観てしまった 聞いてはいたけれど本当にずっと画面が暗い そして光量が圧倒的に少ない分その闇の中に浮かぶ瞳、輪郭、爪の白さ、そして異様に鮮明に聞こえる環境音に意識がフォーカスしていく 瞑想や心霊体験にかなり近い時間に思えた(そしてそれは当然眠りとの距離も近い) 翌日に観たコロッサル・ユースの方が緩急のつき方や台詞の良さが味わい深くて入りやすかった 今作は前衛舞踊演劇とかに近い 飛行場に降り立つヴィタリナ、立ち上がるとそれが長ズボンだったとわかる神父ヴェントゥーラ、とにかくまばたきをしないヴィタリナ、手づくりのレンガを手づくりの家の上へ運ぶいつかのヴィタリナ


▼諏訪敦彦監督アフタートークメモ

飛行機から降りてくるヴィタリナの足はなぜ濡れてるのか 夫の知らせを受けてポルトガルに飛ぶ ホースマネーにヴィタリナは登場していて、映画の中でその話をする 混乱して高熱を発して震えていた 隣の人がおむつを探してくれた なのでおしっこかもしれない 彼女の人生に実際に起きたこと経験したことを映画にしている しかしそれらがはっきりと物語として描かれてはいない ペドロコスタの人物は止まっているか振り付けのようにしか動かない 実際に起きたことに基づいているけどそれがどんな風に起きたかわかるようにはつくられてない

ヴァンダの部屋以前のペドロコスタはフィクション映画のつくりかた(たくさんのスタッフ・たくさんの照明、クランクイン・アウト)で映画をつくっていた それらに疑問を抱き、少数のスタッフで実際に起きたことについて 数百時間のラッシュを長い時間かけて編集してヴァンダの部屋がつくられた 当時は普段暮らしてるような身体の動き方での撮影をしていたが、その後だんだん変わっていく

『コロッサルユース』ヴィタリナの手が震えてる神父の役のひと 実際には移民の労働者 彼が主役になっていく 今作から明らかに振り付けられた動きになっていく 参考になるひとつはストローブ=ユイレ、彼らの作品の中でテキストを読むシーンは読む人・読む内容・読む場所・読む状況がそれぞれズレている ペドロコスタ作品でもトラップを踏む足が濡れている、それがなぜかは示されずしかしただ我々はそれを見つめる

ペドロ曰く 映画には2種類ある ひとつはドアが全て開いている、ファストフードみたいな映画 もうひとつはドアが半分しか開いてない、これ以上は見てはダメだという映画 それはたとえば赤線地帯のラスト 通常映画はイメージ、見たいと思うものを見せる しかしショットはそうではない 見たいものを見せるものではない タラップを降りてくる濡れた足というのは 実際に彼女に起きたことであり、いま目の前にはその事実があるだけ ペドロコスタの作品はわかりにくい(本作はわかりやすい方で、複数のショットで一つのシーンを構成するというロマネスクな方向に接近した作品ではある) わかるようにつくっていない

ドゥルーズ『シネマ』 によると 現代映画の中で起きていること 血の代わりにペンキが流れる 嘘を嘘と言ってしまう それは映画が現実に対して失われた信頼を回復させていく営みだ 現実に起きたことを真実だと思う力を映画が回復させる ペドロコスタ作品もそう 描かれていることを信じるのではなく、いま起こってること・わたしたちが見たこと・聞いた音をわたしたちともう一度結びつけていく
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