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からっ風野郎のcyphのレビュー・感想・評価

からっ風野郎(1960年製作の映画)
3.1
駆け込み若尾文子マラソン⑧ 共感性羞恥で殺してくれ〜となるくらいつらかった、三島由紀夫という人間が思い描く理想の姿に沿って演技を重ねれば重ねるほどその肉体の貧相さ(やたらサービスショットかのように見せつけたがる胸周りとは対照的に下半身が戦争孤児のようにガリガリなのが哀れを誘う)、凄みに欠ける声色のかん高さ、眼光の鈍さ、口上の冴えなさが画面上で浮き彫りになっていくのがつらいつらい インテリヤクザな船越英二と強気なヒロイン若尾文子パートがなかったら観終わることもできなかったと思う

Wikipediaによると意気揚々と俳優としてのキャリアをスタートさせようと意気込んだ三島の鼻っ面はこの現場で見事に打ち砕かれたようで、その七転八倒の撮影エピソードの方がずっと面白い 俳優として演じることを通して初めて若尾文子や船越英二がいかに俳優として優れているかを痛感するくだりなんか非常に素直でよろしい 基本的にどこまでも素直な男なんだな 一介の若尾文子の顔ファン(「ポチャポチャ」した顔が可愛くて好きだったらしい)でしかなかった三島がいよいよ若尾文子に入れこんで書いた文章も衒いがなくてかわいげがある↓ 奥さんとの世界周遊旅行の直前にデートを申し込んでフレンチ食べてダンスを踊るも「リードは強引だし自分は固くなってたしで踊りにくかった」と後年語られる三島よ

「人はどうしても、その氷いちごみたいな味覚に勝てないのである。このために彼女の人気は継続したが、同時に演技をみとめられるためには、ずいぶんマイナスになつたと思ふ。(中略)俳優は自分の顔と戦はなければならない。その顔が世間から愛されば愛されるほど、その顔と戦はなければならない。若尾文子はそれと戦つて、立派に勝つた。(中略)映画界といふきびしい世界で、雑草のやうな生活力をもつことは、生きるための最初の条件だが、これからの彼女には、豊かな、潤ひのある、おほらかな世界がひらけて来なければならぬ。人間同士の醜い競争などに心を煩はされない世界が。」
— 三島由紀夫「若尾文子讃」
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