これは本邦では1981年の深夜枠でのテレビ放映(日本語吹き替え版)が先で、1985年にようやく単館系劇場で公開されました。
ニュー・ジャーマン・シネマの旗手ヴェルナー・ヘルツォークのメガホンによる作品なので、今思えばアート系映画ですが、ホラー・テイストを期待していた身としては初見の時に大いに戸惑ったものです。
さて、吸血鬼映画の最古典『ノスフェラトゥ』(1922)のリメイク。前述のとおりアート傾向が強いため格式高い文芸調です。ドラキュラ伯爵のメイクもオリジナルを踏襲しているとはいえ、不気味でありながら美しさを兼ね備えています。
この作品が公開された時期は世界的なドラキュラ・ブームでした。このムーヴメントの最大の特徴は、それまで恐怖の象徴だった吸血鬼ドラキュラに人間性を持たせ、「吸血鬼の苦悩」を前面に押し出した事が第一に挙げられましょう。
「死よりも残酷なものがある、それは死ぬ事が出来ぬということだ」
このドラキュラの悲痛な叫びは以後の吸血鬼のイメージを決定づけることになります。
全編に漂う透き通った空気感、西ドイツの生んだポポル・ヴーによるオーガニック・ミュージックの美しき主題、ワーグナーの『ラインの黄金~プレリュード』の音に乗って描かれるトランシルヴァニア渓谷からドラキュラ城の道程、ヴィスマールのパンデミックをグルジア民謡『ツィンツカロ』で飾ります。
本作の吸血鬼は代替わりをするタイプ。ドラキュラ死した後、ジョナサン・ハーカーの顔が、これはメイクと照明の妙ですが、ドラキュラその人になっているというのは衝撃的。地平線に向けて馬を駆るジョナサン=ドラキュラ、絶望的なラストを飾るはグノー作曲『聖セシリア荘厳ミサ曲~サンクトゥス』。何とも救いのない終焉です。