あなたの人生は、あなた自身の決断の結果。
結論から言うと、これまで観てきた「湯浅政明」監督作品の中では、一番琴線に触れたストーリーだった事は間違いない。
が、やはり"無駄"かつ"虚実"が入り混じり"真偽"が定まらない"エキセントリック"な映像表現が主題をことごとく曲解させにきて、結局はよく分からないと"わざと思わせる"意図で全てが作られていた為、当然の如く真の理解を得る事は叶わなかった。
そんな中でも、特にこの作品を読み解くにあたって大事だと思ったキーワードは「イマジネーション」だ。
主人公の「西」はある事がキッカケで、ヤクザに四つん這いの状態でケツの穴から銃弾を撃ち込まれ、惨めな死を遂げてしまう。
が、その次の瞬間神様と名乗る存在と邂逅を果たし、このまま消えゆく運命と告げられるのだが、西は神様が指し示す方とは逆方向に全力疾走する事で、自分が撃ち殺されるほんの少し前まで時間を巻き戻しなんとか生還を果たす。
このように、今作では"想像力"が、起きてしまった死でさえも覆す最強の"能力"のような描かれ方をしており、"根拠のない可能性"でしかなかった、ただの"想像"だったものが、己を助く"創造"へと変化を遂げる瞬間が幾度も描かれる。
それが特に顕著なのが、クジラの口から脱出を試みる場面だ。
脱出に不可欠かと思われたモーターボートが衝撃に耐えきれず大破しても、水面を走るイマジネーションで、水中を漂うあらゆるものを踏み台にして本当に駆け上がっていってしまったり、肉体を酷使した結果足の骨にヒビが入って万事休すかと思っても、牛乳嫌いだった自分に内緒で、母親がこっそり料理の中に牛乳を混ぜてくれていたというイマジネーションで超回復を起こしたりする。
極めつけは、ただのオモチャだった「タイムボーイ」の変身ベルトが、クジラの口から見事飛び出した瞬間に、本当に時間を遡りだし本編の0:00:00の出だしまで巻き戻ってしまうのだ。
そして始まる人生改変。
ここからの"ラスト数分間"がこの作品の真髄であり、全てがこの"フラッシュバック"の為に存在していると言っても過言ではない。
むしろ、ちゃんとまとめれば30分程度のショートフィルムでも事足りるような事を、この映画は1時間40分の尺に引き伸ばして表現している本当に無駄の多い作品なのだが、その"無駄こそ"が誰もが未来を信じ、己を信じ、しょうもなくても、馬鹿げていても懸命に生きていた事が、走馬灯のように明かされていくラストの為の布石であり、その無駄があったからこそ最後に感極まるものがあったのだから、無駄なのに決して無駄ではなかった事に、観終わった瞬間気付かされる仕組みになっている。
そして、あれだけハイパーテンションで送ってきた作品のエンドロールで流れるのが、バラードというのは言うまでもなくずるい。
テンション高く無駄に無駄を重ねた後に、真髄を凝縮して見せてきて、最後はしんみりとバラードで落とすとか、こんなのエモーショナルにならない訳がない。
再三言うが、この作品"も"マジで意味は分からなかった。
粗探しをすればキリがない程筋が通らない事ばかりでこの物語は成り立っている。
「バーニング」のレビューでも書いたが、僕は理屈で説明出来ないものが大の苦手だ。
だから、そもそもが湯浅監督とは根本的なところから相性が悪いのかもしれない。
だが、これまでの湯浅作品には感じなかった、突き動かされるままの"情動"は一度は体験しておいて良かったと思えるクオリティであった事は声を大にして伝えておきたい。