青山祐介

奇跡の人の青山祐介のレビュー・感想・評価

奇跡の人(1962年製作の映画)
4.5
『この世のものは一瞬で消え去ってしまう。でも私たちは言葉という光を残せる。5000年昔の光も見える。感じたことのすべて、知識も分けられる。だから誰だって闇に住んではいない。言葉さえ分かれば世界をあげられる。』(アニー・サリバンの台詞)

アーサー・ペン「奇跡の人(The Miracle Worker)」1962年 アメリカ映画

映画を観たのは10代の頃になります。60数年を経たいま、この映画を見直してみようと思い立ったのは、偶然手にした本、ジョージナ・クリーグの「盲目の怒りBlind Rage:Letters to Helen Keller(2006)」の邦訳を読んだからです。クリーグ自身も視覚に障害をもつ女性で、障害学や障害者の視覚文化、心理学、哲学の研究者、作家としてカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を取っています。それは私にとって、サリバン先生の言葉にあるような「輝く妖精」との出会いになりました。クリーグの感覚の鋭さ、愛と怒りと共感の描写は私の心に響きわたり、「奇跡をもたらした」神話はなぜつくられたのか、神話のなかに生きるヘレンの想いや怒り、悲哀と喜び、恋と希望、そして、ヘレンとサリバンに対する偏見を改めて考えてみることにしました。
ウィリアム・ギブソンの脚本は優れたものです。キャストもスタッフもそれにこたえます。ギブソンはサリバン先生の伝記的事実とホプソン夫人に宛てた手紙を巧みに構成し直して登場人物の性格を創っていきます。こうして、それは「アニー・サリバン・メーシーとその精神の子」の物語となるのです。これがヘレン・ケラー神話の始まりです。
アニー・サリバンはアイルランドの移民の子として生まれました。不幸な子供時代、貧しく、厭世的で、トラウマをかかえながらも、背骨を真っ直ぐに伸ばして毅然と生きる戦闘的な子供として育ち、機敏で、頑固で、強情で、短気な負けず嫌いな女性に成長します。障害と逆境を乗りこえ、教師としての自立の道を踏み出したのがこの物語のはじまりです。その姿をアン・バンクロフトは見事に演じています。ヘレンに弟ジミーへの想いをかさねて唄うバンクロフトの歌声と悲哀と決意の表情はいまでも心に染み入ります。
ヘレン・ケラー役のパティ・デュークも、困難な子供時代を送りました。子役として認められ、ブロードウェイで2年間ヘレンを演じます。実際の舞台は知りませんが、白黒の画面で描かれた表情のクローズアップが、ヘレンのすべてを語ります。終盤にさしかかった井戸端の場面で言葉を知り、先生の名を手話で理解し、思わず流す一粒の涙は、演技を超えた、おそらくは自然に溢れ出たものなのでしょうか。
ケイト・ケラー(インガ・スウェンソン)の、母としての愛と哀れみ、希望と苦悩の表情は、美しく悲しいものでした。
『ほんとうに、ことばは天と地を創造する根元なのです。(アニー・サリバンのホプキンス夫人あての手紙1887年5月16日)』 歳を重ね 60数年ぶりにこの映画を観ることになりましたが、いま、心に響くのは、奇跡ではなく“言葉という光”のことです。ヨハネによる福音書には『初めに言があった』と書かれています。また『言葉は存在の家』であるとも、『あらゆる言葉は橋にすぎない』とも、また言葉は『ノスタルジー』であるとも言います。
ヘレンの言葉の獲得と解放された心はサリバン先生の希望に反してヘレンを神話の人にしていきます。ここでクリーグのひそみに倣いサリバン先生に手紙を書くことにしました。
「親愛なるサリバン先生。突然不躾なお手紙を書くことをお許しください。先生は1887年6月2日付けのホプキンス夫人宛の手紙のなかで、“できることなら、私の美しいヘレンはいわゆる神童なんかにはしたくありません”と、おっしゃっていましたね。でも、それは無理なことでした。ヘレンとあなたは奇跡の人と呼ばれ、有名になる一方、批判と中傷を浴びることもありました。“ヘレンもあなたもお互いを欠いてはなにも達成できない“、“ヘレンの人格のどこまでがあなたなのか“、“ヘレンはあなたの傀儡なのか”、そして、盗作の容疑までかけられ審判を受けることになります。ヘレンはまだ11歳ですよ。視覚と聴覚に障害を持ったヘレンが言語を獲得してまもなくのことです。あなたもヘレンも怒るべきでした。でもあなたは怒りを抑えました。これは障害者の偏見とあなたに対する妬み以外のなにものでもありません。こうしてヘレンとあなたは奇跡の人、障害を克服した偉人として、つくられた神話の中に歩まざるを得ませんでした。それでもサリバン先生!…ヘレンを神話という呪縛から解き放ってください。ヘレンは見ることができ聴くことのできる私たちの誰よりも自由を生き、自由を知る人なのですから!…他人が何を言おうと、あなたとヘレンの関係は奇跡なのですから。
あなたの唯一の友であるホプキンス夫人によろしくお伝えください。私は変わることなくあなたを敬愛いたしています。」

ー『すべての物は名前をもっていることと、指文字が…知りたいすべてのことへの手がかりになるということを学んだ…』 ヘレンは翌朝『輝く妖精のように目覚めました。彼女はつぎからつぎに物をとりあげてはその名前をたずね』ました。すべての物、ことがら、色にも、喜びにも、悲しみにもすべて名前をもっていなければなりません。『昨夜私が床に就くと、彼女は自分から私の腕の中にすべり込んできて、はじめて私にキスしたのです。』(ホプキンス夫人への手紙から)
青山祐介

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