青山祐介

ゴッホ~最期の手紙~の青山祐介のレビュー・感想・評価

ゴッホ~最期の手紙~(2017年製作の映画)
4.0
ドロタ・コビエラ「ゴッホ~最期の手紙(Loving Vincent)」2017年、ポーランド/イギリス

 Your Loving Vincent. ―この映画は、フィンセント・ファン・ゴッホという、稀有な芸術家の生と死を、書簡と絵画を中心にして、彼を廻る人々を描きながら、ペインティング・アニメーションという特殊な手法と色彩を使い、映画を観るわれわれ自身の心の中のカンヴァスにいままでになかった新しいゴッホ像を描き出した。愛という不可解で、不器用で、理不尽で、謎にみち、凶暴で、ときには狂気におそわれ、病的で、神秘的で、情熱的で、燃えあがるような色彩にあふれた、芸術と苦悩の物語である。ゴッホの実像に迫ろうとするミステリアスな物語になっているが、それだけではなく、われわれ自身の心の奥深くにある愛と生の真実を映し出すことに成功している。映画はゴッホの絵と、125名のアーティストたちによる6万2千450枚のゴッホの模写作品で構成されている。あえてゴッホの模写という。それは、ゴッホの心の模写であり、125名のゴッホにたいする愛の模写である。俳優たちもゴッホの描いた肖像画の模写=虚像になりきる。演技は模写である。絵画の中の動く人物も、俳優の模写である。模写(模倣)であるからであろうか、それがかえってフィンセントへの熱い想いを伝え、フィンセントからの愛を受け取ることができる。映画は「ゴッホの絵に語らせることではない」そして「われわれは自分たちの絵によってしか語れない」と強調されていることをつねにこころにとどめておかなければならない。これは、ゴッホを解明することではなく、フィンセントの愛の中にわれわれ自身が入ってゆくことなのである。
われわれの想いを代表しているのが、ゴッホの郵便配達人を父に持つ、青年アルマンの存在である。この映画の愛すべきところは、ゴッホに描かれた郵便配達人の息子を、語り手として、われわれの案内人として選んだことにある。かれは虚像ではなくなっている。なぜならばアルマンの旅はわれわれの心の旅になるのだから。
 物語の伝記的部分、すなわち過去はモノクロの水彩画で描写されている。過去と現在をわけるためにとられた手法であることは理解できる。しかしなぜかさびしい気持ちになる。過去に色がないからだ。死の真相を辿る路には色が溢れ、かれの苦悩の生は暗い色に沈む。死の真相は生の真相なのか。あまりにも悲しすぎる。
ゴッホは極めて優れた点と線と色彩の画家である。たとえば1889年の「アルルの寝室」を見てみよう。貧しい粗末な寝室には色が溢れている。淡いスミレ色、赤、新鮮なバターのような黄色、緑がかったレモン色、オレンジ、青、薄紫、そして白、色と輪郭がすべての役割を担っている。色の役割があるのだ。そこには、永遠の休息がある。
愛をこめて、フィンセント ― と、最期の手紙は結ばれている。そして物語は終わる。それでもフィンセント・ファン・ゴッホの芸術の謎は解明できない。ひまわり、燃えるような糸杉、麦畑、雲、誰も坐っていない椅子、肖像画、色の役割、ゴッホの自然、謎は深まるばかりである。
青山祐介

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