きょんちゃみ

英国王のスピーチのきょんちゃみのレビュー・感想・評価

英国王のスピーチ(2010年製作の映画)
5.0
【※劇薬批評なので注意】

この映画ほど誤解されている映画はない。


【この映画は、イギリスの国王が、うまくしゃべる方法を訓練して、ついにはうまくしゃべれるようになって民衆を動員することができて、ヒトラーに勝った!というような映画では全くない。】

繰り返すが、そういう映画では全くない。こういう解釈をしている奴があまりにも、多いが、それはこの映画の哲学的な価値を全く分かっていない。

そうではなくて、

【本当に伝えたいことがあって、しかもそれが自分以外の人間に伝えるべき正しいことであって、なにがなんでもあなたに伝えたいという意志を強く持っていれば、話し方など全く気にせずに、率直に心の底から思っていることを言葉にすれば、演説のうまさやヘタさに関わらず、話す技術の向上とは関係なく、伝わるものは確かに伝わる。大切なのは、どう話すかではない。何を話したいのか、なぜそれを話したいのかを、吟味したかだ。】

ということが言いたい映画である。だからラストシーンで、あれほど演説が上手なアドルフ・ヒトラーと、まぁ普通くらいのうまさのスピーチしか出来ない英国王ジョージ6世はスピーチで闘って、勝つのである。ここが哲学的に深いのだ。

それなのにも関わらず、この映画を、スピーチの訓練をして、猛特訓をしたことによって、ヒトラーを倒すほどスピーチがうまくなったすごい努力家でテクニックを磨いたすごいイギリスの王様の話だとかいう解釈をして感動している奴らがいる。感動したがってるやつがいる。だから俺はこの映画評を書いた。この映画は、スピーチのうまさとかレトリックの素晴らしさとか、うまく伝える技術だとか、発声法とかとは何の関係もない。そんなの普通レベルで十分に決まってんだろ。

この映画は、ある心の優しい、軽々しく主張をしないだけの頭の良さと慎重さを備えた素晴らしい王様が、あまりにも酷いレトリック政治家(=ヒトラーとかいう名前のクソ)が現れたせいで、本当に伝えるべきことを、単に普通のレベルの分かりやすさで言ってみたら、みんなにそれが通じて、むしろスピーチの技術みたいなくだらないものが大事だと思っていたヒトラーには全く負けなかった、という話である。スピーチの技術って結局、最後の最後では二次的なものなのではないか、と観客に思わせるのがこの映画の素晴らしさなのだ。

【心の中にある伝えたいことがしっかりと自覚できたなら、あとはそれをつたない言葉でもいいし、難しい言葉を使えなくても全然いいし、抽象的な言葉じゃなくても全く構わないから、ただ、単に、言えばいいのである。そうすれば、むしろ伝わる。等身大の切実な言葉だけが、人の心を本当の意味で、射抜くのである。】

レトリックばかり重ねたりしていると、民衆を惑わせて、扇動することはいくらでもできるんだけど、本当に大事なものは伝わらない。

【スピーチの技術なんてくだらねぇ。本当に大切なのは、どう言うかじゃねえ。なにを言いたいのか、自分はちゃんと自覚しているか、だ。バカ野郎!】

それがこの映画の言いたいことである。『英国王のスピーチ』とは、スピーチ技術なんて二次的なものであって、本当に大切なのは、伝えたいという強い意志であるということを気付かせてくれる本当に素晴らしい映画である。


なーにがスピーチの技術だ!バカ野郎!

人に何かを伝えたいとき、本当に大切なのは、自分を信じることだ。自分を信じるために必要なのは、自分の意志を確認することであり、それを認めてくれる友人との信頼関係だ。

だからこそ、あの発声法の訓練を通して、『ファック!』って王様に言わせたあの言語療法師のライオネルは王様の本当の友人になったのであり、結果的に普通にスピーチも出来るようになってるわけだから、(あくまでも結果的には、)最強の言語療法師なのだ。

腹を割って本当の気持ちを語り合える関係、つまり友人関係を育てることこそが、言語療法の真髄だ。と、ライオネルなら言うに違いない。少なくとも俺はそう思う。

発話テクニックなんてのは、実は、発話の練習のために見えて、(それでプロの言語療法師は患者を釣るんだが、)実は、ライオネルとの信頼関係を築くことが目的だったのだ。でも、それによって発話がちゃんとできるようになってるわけだから、ライオネルこそが、本当の意味での言語療法をやってのけたと言えるだろう。

ライオネルはプロだ。

彼は、スピーチの技術を教えると見せかけて、本当に大切なものを教えて、スピーチができるようにしてる。

こういうのをプロと俺は呼んでいる。
きょんちゃみ

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