倉科博文

最強のふたりの倉科博文のレビュー・感想・評価

最強のふたり(2011年製作の映画)
4.8
【総評】
これを見た時の気持ちこそを、静かな感動と言うのだろう。見終わった後も、作品の印象を思い返すと涙が溢れる。

まさに実話ベースのヒューマンドラマを扱った映画として、完璧に近い作品。
俳優の魅力、シーンの美しさ、シークエンスの配置、音楽の力。その全てがお互いに不可分なまま、静謐な作品の中に魅力として湛えられている。

そして、人生の喜びや、大切な人とはどういう存在か、という誰しもが考える人生のテーマを、一本の映画の中にフラクタルな形で収めた珠玉の作品。

【俳優】
大富豪フィリップを演じるフランソワ・クリュゼやドリスを演じるオマール・シーだけでなく、邸宅で働く人々を含めて皆が魅力的。

とはいえ、やはりフランソワ・クリュゼとオマール・シーの魅力は別格か。
フィリップとドリスふたりの唯一の共通点は、本音で人生を生きているところだが、その純粋さと脆さと危うさには目を釘付けにさせられる。
そのどちらかが画に入っているだけで、シーンが映えるし、表情と目が素晴らしい。

【構造】
本音で生きる、ということは、何物からも縛られず自由でありたい、ということとも繋がる。
大金持ちで社会的には自由であるはずのフィリップは事故によりパーソナルに究極的な不自由となってしまった。
一方で、恐らくは移民の流れを汲み、プロレタリアとして、しかも複雑な家庭環境を持つため、社会的には自由とは言えないドリス。
不自由な境遇に苦しみながらも、その心の中には常に自由な魂を宿しているふたりは、出会いとともに自然と共鳴していくのだ。

誰かにとって大切な人とはどんな人だろうか。
それは言い換えるならば、「入れ替えの出来ない人」ということになる。
このふたりは、人生において間違いなく、お互いに「入れ替え出来ない人」になれた。
自分は自由である、ということを感じさせてくれる相手であり、むしろ「忘れたのか、これが自由ってやつだろ?」と教えてくれるメンターなのだ。

そして、事故以来誰にも心を開かなかったフィリップと人生に諦めを持っていたドリスは、お互いの出会いをきっかけに、少しずつ変わっていく。もはや、お互いが側にいなくとも、自由を勝ち得るほどに。

映画作品として、パーフェクト。

【構成】
ヤンチャな貧困層の若者が、全身不随の大富豪の介護をすることになる、というログラインだろうか。
たったこれだけの話だか、出来上がった作品の美しさと華やかさは群を抜いている。
そして登場人物たちの魅力で、「この人をもっと見ていたい」「この人たちのやり取りをもっと見ていたい」という事だけですら映画の推進力になってしまうことに驚く。
エンディングのベタベタしない軽やかなキレも素晴らしい。