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ワイルド・アパッチのotomisanのレビュー・感想・評価

ワイルド・アパッチ(1972年製作の映画)
4.2
 夜の闇に紛れて犬も手懐けてひっそり馬を盗み出すウルザナらの動きは荒事を厭わないアパッチには不似合いだ。幽閉同然な居留地を抜け出して目指すのは米墨国境、追っ手を引き離すなら先ず気付かれない事だ。アパッチも策を巡らすのだと意表を衝いたあとで、逃走者は一転して道すがら入植者相手に強盗ついで、無慈悲でことさら残虐な人殺しを繰り返す。
 国境を越えてくれれば厄介払いできるが、どこまで殺しが続くのか。軍はそれを阻止するため彼らを連れ戻せというが、すでに先住民とは戦争状態を終えた今、警察活動中の騎兵隊に殺せとの命令はない。これがアパッチにはない法律だ、なるほど。

 快楽殺人か邪宗の儀式か?そんな違和感を劇中、彼らを追跡する部隊の指揮官、少尉も思うらしい。牧師の父を持つ陸士卒半年目の少壮士官の初任務がウルザナ連れ戻しである。ジェロニモの反抗に隠れたような1885年の実在の戦士ウルザナらの居留地離脱事件が下敷きの話である。
 しかし、監督は実話がどうあれアパッチ戦士の静動自在さを印象付けるほか、残虐な様相の殺人について、同じアパッチではあるが、白人への同化を決め、追跡の協力を引き受けた戦士ケ・ニ・テイを用いてウルザナらがどんな理由からああするか意外な説明を試みる。
 そして、事実とは異なるがウルザナのこの一件での生き死にを通じて、白人への同化を拒むアパッチ戦士の人間のありよう、農耕にも交易にも向かわない野生の略奪者の人間観を伝えている。
 そこでいう「人間」に相当するのは「ウルザナらと対等な存在」であり、まさにウルザナ当人のような者以外にない事、彼らの間では遣り取りするのは互いの命だけである。欲しいものは殺して奪うのを信条とする者が生きる世界で、ヒトの形をしていても全ては獲物になる世界である。そこでウルザナとはどんな存在かが彷彿とさせられる。
 そしてその世界にウルザナはどのように生かされ実世界に君臨するのか、戦士であるなら「男」であり、戦士の生き方を差し止められれば「女」になるしかないのである。そこに居留地離脱の理由があり、戦士を回復するなら戦って殺し奪う事が必要ともなる。逃走途上繰り返す幾多の殺人の理由も明らかだろう。

 しかし、ウルザナらのそうした在り方は、敵の撒き方、襲い方と自ずと行動の様式を生み、追撃者からは狼を狩るように彼らの目的と状況から採りうる戦術を予測され反撃、要撃の上手を取られる。そしてその通り一党は窮地を衝かれ敗北する。
 死に際してウルザナが儀礼に則った自殺を遂げるのも対等な戦士ケ・ニ・テイに見届けられるからである。ケ・ニ・テイは白人と同化する事についてウルザナに対し臆せず、ウルザナもアパッチのありかたを変えたケ・ニ・テイを変節と言わず侮蔑も示さず、降伏の素振りで裏をかき包囲を破ろうと試みる事もなく死ぬ。この事について、ウルザナの死は、反抗して居留地に閉じ込められたウルザナの弱まった戦士としてのいのちを回復させんがための逃走にその回復が間に合わず、白人に同化しながらも戦士の生き方を伝えるケ・ニ・テイのいのち強さに敗れた事を意味している。死はウルザナにとって明解な事であったろう。

 その一方で、追跡隊もまた大きな犠牲を強いられる。補給不足で崩壊寸前なウルザナ部隊が解散するならもう捕縛は見込みがない。そうなる前に囮を放ち、それと悟られないための敵の斥候をさらに監視する大仕掛けを施すが、それが囮襲撃への援兵投入を遅らせ、多くの死者、なかでも先住民を熟知したスカウトを失う。この痛み分けを通じて少尉もこの地での争いに長けてゆき、白人側の交渉役たりうる者の頭数もさらに先細るのだろう。
 しかし、まもなく、先住民の大規模な反抗は止み、少尉の役目も失われ、先住民も生活のための商行為に乗り出すようになる。こうして生きた先住民の姿を語れる者も減り、先住民自身が加担した「西部劇」と間もなく発明される映画で勇敢な白人と恐ろしい先住民の話が独り歩きを始める。

 映画公開のかたわらではベトナム和平が余儀ない事となるなか、交渉での優位性確保のためと言って戦闘は少しも止まない。優位を得てどんな戦利があるのか?
 ならば、一世紀前ウルザナを見逃してあと何人殺されるのを見過ごすか、肉を斬らせて骨を断つつもりでウルザナを襲う成算がどれほどあったかは知らないが、仮にも軍が、動かないでメキシコへ向けて敵を見過ごす事に適法のひと言では済まない事を誰も否定できなかったのは確かだろう。そこがベトナムと違うところだ。

 実際のウルザナはこの脱走ののち恭順を示し、後年、ジェロニモらと共に西部劇ショーにも参加しながら暮らしたようだ。没年はジェロニモと同じで何かの因縁でもあるのかは分からなかった。意外な感じだが20世紀人でもあった。
 静動自在なアパッチらしく、策略を巡らす巧者らしく、優勝劣敗、もはや闘いにならない状況に諦めを付けて白人文明を受け容れたのだろう。そんなことも尋ねれば知りうるだろうが、声も上げずに誰が尋ねてくるだろう。監督は勇猛残虐とされたアパッチの素顔の両極端に異世界発祥の人間の凄みと不思議さを、そして、そんな謎めいた人々に地球を逆回りして来て向き合い鍔迫り合い、あの荒れ山を墓所と定めた、監督と同じ白人文明に発祥した男たちの横顔を伝えたかったのだろう。
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