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我が家は楽しのotomisanのレビュー・感想・評価

我が家は楽し(1951年製作の映画)
4.0
 お酒が配給から自由販売になってやれ嬉しと思ったら今度は家族の出費がかさみ出す。次女は修学旅行で関西へ、息子は名野手らしいグローブをとせがむ。これにはおちおち酔っぱらってもいられない。おまけに酔っ払いついで、帽子はなくす、傘はなくすでみんなにからかわれ、挙句は勤続25年の特別手当まで失くして。
 と云うそそっかしいオ父サンの家族6人、狭くなんかありません、サザエさんちみたいな昭和戦前の郊外住宅生活は、さすが上場企業の人事課長にふさわしいものだろうけど五十鈴母さんの内職と質屋通い無しでは成り立たない。勤続が25年なら結婚生活も昭和と共に25年、その日、五十鈴母さん相手に智衆父さんが見た事もないほどよく笑い話す。
 課長さんでも大変だなぁとみんなも思ったか、なんの、わしらのバラック、長屋住まいからすりゃ、ありゃ天国だ、それに子どもらに貧乏を気取られないのは立派なもんよ、となったか。
 いやそれどころか、長女の結婚もせず働きにも出ず絵描きを志望するのは突出した事に違いない。しかし、特需景気も他国の戦争の煽りに過ぎず、国もまた講和も独立も果たさないままの1951年である。子どもの未来とはいえ、これは大きな背伸びと言えるだろう。それを敢えて描いて見せたところに監督の気持ちが察せられる。
 そんな一家にはカネなしに更に家なしの危機が巡って来るが、ものは考えよう、おばさん宅に間借りができて二間に七人鮨詰め生活ながら、それが当節のごく普通というところかもしれない。雨風しのげて家族も一緒なら狭いながらも何とやら。だから、追い立てが急に収まって元の暮らしに戻れるとは調子が良すぎるにもほどがあろう。
 こいつはどんなマジックだろうと追跡すると、店立ての張本人、オ父サン宅を買い取った大富豪で裏の洋館の老人の一人居が物語を締めくくるところに行き着く。この老人の高い窓から見下ろす先のオ父サンちの笑い声、それに耳を傾ける大富豪のただ一人が、そう言えばこの老人、姿を見せても遂に一言もしゃべらずあの家族を観察していたっけ。
 このひと、復興で儲けたか特需で稼いだか、暮らしと経済こそ破格に達してもおよそ幸福には無縁と見える。どこかに亡くしたのか置き去ったのか家族の姿を懐かしむのだろうか、後悔でもあるのだろうか。
 下の一家を眺めてもそれが無縁の人たちであるとは承知なのだが、そのそばにいるこの安堵感、望郷の念を捨てがたいのに違いない。あのお父さん一家の楽しい我が家は案外この老人のため、誰とも知れないこの世間のためにもあるのかもしれない。
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