Morohashi

シン・レッド・ラインのMorohashiのレビュー・感想・評価

シン・レッド・ライン(1998年製作の映画)
5.0
第二次世界大戦下のガダルカナル島での米軍と日本軍の戦い(わりと末期の頃)を描いた話。
かの有名なプライベートライアンと同年に製作され、ともにアカデミー作品賞にノミネートされたにもかかわらず、圧倒的に知名度が低い。
それは、長さ(2時間50分=プライベートライアンとほぼ同じ)の問題もあるだろうけれど、おそらく日本兵が出てきてバタバタと殺されるところが地上波での放送を敬遠される理由ではないかと推察する。

タイトルのThin Red Lineについて、作中では一度も言及されることがない。
意味は2つの解釈があり、1つは少数精鋭。もう1つは、転換点。

ガダルカナル島の戦いのあたり(ミッドウェー海戦)で日本は大敗を喫し、これにより急激に戦局が悪化した。
もっとも日本国内ではこの事実を隠蔽し、都合のいい放送をしていたわけだが。(大本営発表)

また、映画の序盤では、米軍が圧倒的に不利に見える。
だが、少数精鋭が突破を試みたところから一気に勝機が増え、まさしく転換点となった。

しかしこの映画、あとから思い返すと実はドンパチやっているシーンがない。
プライベートライアンよりも圧倒的に少ない。

代わりに多いのが、野生動物やら植物なんかを映したシーン。

これは現地に派遣された若い兵士たちが、自分たちの心の中にある一線を越えてしまうことの恐怖を表した作品。
平気で人を殺し、殺される仲間を見捨てることで変わってしまう自分への恐怖を描いている。
目を背けたくなる現実を、何も考えないことで対峙する。
そしてふと考えたときに、自分のしたことの虚しさ、罪深さに震える。
そしてあえて希望を持たないようになる。

劇中に何度も登場する女性(ミランダオットー)は平和の象徴。
兵士として愛国心を抱きながらも、こういう穏やかで幸せな環境に身を置きたいという願望。
でもそういう願望を極力抱かないようにして生きていく。虚しくなるから。
しかしながら、その結末までもが描かれてしまうのが、戦争以上に残酷。

この映画が、史実に沿った戦争映画でありながら、多くの人の心を打つのは、この作品の中に自分があえて心を閉ざしている願望をそれぞれが見るから。
本当は仕事や正義なんか放り出して、自分のやりたいことをしたい。
でもできない社会構造だったり他人の目だったりを憂うメッセージの映画である。
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