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イディオッツのKSatのネタバレレビュー・内容・結末

イディオッツ(1998年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

言わずと知れたトリアーの問題作。

ぶっちゃけ、ドグマ95のアプローチやら「知的障害者を演じることで解放されていく健常者の集団」というモチーフやら、いかにも手段やテーマが先走りすぎたクソ映画だろうなと思っていたが、意外と不快指数は低く、普通に面白かった。

知的障害者を演じるという行為自体は確かに非道徳的で不謹慎だが、障害者には健常者にあるようなある種のモラルやマナーが問われない場合が多いのも事実だ。当然のことながら、社会は彼らがモラルやマナーを欠いた振る舞いをすることを許容しているため、彼らはある面においては自由であると言える。この映画でヒロインが出会うグループの人々は、障害者を演じることでモラルや法律に縛られた世界から自由になろうと試みる。

また、障害者を演じる彼らを前にした健常者の人々の偽善が暴かれていく挿話の数々も痛快ではあるが、彼ら自身も他者に対して偏見を持っている点も無視できない。例えば、グループのメンバーの一人がレストランで刺青入れまくりのいかにもなバイカー集団と出会うエピソード。彼は、その凶暴性を暴こうと障害者を演じる。しかし、蓋を開けてみればバイカー集団は他の健常者よりもいたって優しく、親切かつ親身になって彼の面倒を見るのだ。

この場面により、偽障害者グループの者たちがバイカーたちに対し「暴力的」「無教養」「非道徳的」であるという強い偏見を抱いていることがわかる。人間は、いかなる立場になっても、偏見を抱かずに生きることなど不可能なのだろうか?

個人的にMiniDVで映画を撮ることに関心があるのだが、この映画は地味に撮影が凝っている。いや、凝りすぎている。一見、ただダラダラカメラ回してるだけなんだけど、肝心なところで各人物の顔の特性を生かしたクローズアップがあったり、逆光で暗くなった顔があったりと、エモーショナルな瞬間が度々見られる。

「ドッグヴィル」の時も思ったけど、トリアーって人は変わったアプローチで映画を撮ろうとしてるけど、実は映画としての語り口や作りは割とオーソドックスなんだよね。だからこの映画も、笑えるところは普通に笑えるし、泣けるところは普通に泣けた。ドグマ95とかのルールに縛られたり、わざわざポルノ俳優雇って本番SEX撮ったりしないで、普通の映画を撮ったら良いのにね。

特に、グループのメンバーたちが起こすバカ騒ぎの数々、そこで気の抜けたピアニカによるサン=サーンスの「白鳥」が流れるセンス、あるいはラストの切なさ・絶望・希望。

ハーモニー・コリンはドグマ95に魅了されて「ジュリアン」を撮ったけど、さらにその後に撮った「ミスター・ロンリー」はこの映画の翻案なのかもしれない。知的障害者の振りをして生きるグループの顛末が展開される本作に対し、あの映画ではモノマネタレントとして生きる人々のコミュニティが登場し、その幸せな日々と崩壊が描かれている。

どちらの映画も、社会を挑発したり、人々から奇異の目を向けられたりする者たちがグループになって共同生活をする様をモチーフにしているため、一般的にはカルト作品と見なされがちだ。しかし、最終的にはその中の一人であった主人公がその集団の外の世界に対しどう向き合い、どのように主体性を獲得するかという普遍的なドラマになっていく。

共に、実は多くの人々に見られるべき作品なのだ。

それにしても、トリアーの声のあのウザさは何なんやろなあ、、、聞いてて一々イラッとする、悪意に満ちた声だと思う。
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