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ダンサー・イン・ザ・ダークのslowのレビュー・感想・評価

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子供の頃、風に乗りどこからともなく聞こえてくる重々しい音の群れに怯え、歩道橋の上でひとり泣き噦ったことがあった。通り掛かった見ず知らずの学生や、スーパーの袋を下げた買い物帰りの女性が、親切に声を掛けてくれたけれど、何が恐ろしいのか自分でもわからなかった。ただ、西日を左肩に浴びながら、ただ、真下を通過する貨物列車の叫び声に負けじと泣いた、遠い日の記憶。それが近所の中学校から漏れる吹奏楽部の練習の音であるとわかったのは、それから何年後、もう忘れかけていた頃だった。架空の産物でありながらも伝記のような風土を感じさせる本作に、呼び起こされたもの。この胸を苦しくしたのは想像上の恐怖だったけれど、生まれるのは誰にとっても等しい感情ではないのだろう。本作の受け止め方も、色々あっていい。そこにも、ここにも、目には見えないものが流れていた。
冒頭の『Overture』。この曲に歌が入らないことの意味。母親の願いと舞台女優の夢。観客は彼女の想いを見届け、その意味に言葉を失う。ミュージカルで恐ろしいことは起こらない。この映画の後に残るのは悲しみでも喜びでもなく、歌だった。最後から二番目の歌だ。この涙は感動からではなく、動揺だったのだろうか。誰に観て欲しいわけでもなく、観てはいけないわけでもない。しかし、この傑作は観ないことをおすすめする。
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