このレビューはネタバレを含みます
混ざり合う直前の緊張感、それをアートにするということは、こういうことなのかもしれなくて、映画がわたしに植え付けたものを、映像で繰り返し見せられるオープニングに、もう陰な予感しかしなかった。いいね。>>続きを読む
故郷へとさかのぼるように水は流れ、眠りの外にいられなくなった鳥たちが、多くの止まり木が失われたその大地に帰って行く。ここはきっと、眠りの中。日没を待たなかったから、朝が遠くにあるのか、近くにあるのか、>>続きを読む
聞こえたのだと思う。どんな歌も鼻歌で自分のものにしてしまうあの人の声がいま、線と点ですらなくなった、かすみにぼんやりと透ける一枚の記憶を揺らして、こたえにならないものを押し込める時間と、眠れるくらいに>>続きを読む
写真は映像よりはやく、わたしに世界を見せて、記憶よりもおそく、わたしの世界から消えて行く。はじまりもおわりも、その多くが断片的で、胸にしまい込んだまま、いつのまにか忘れてしまうなんてことも、めずらしい>>続きを読む
何色に染まることもいとわない恋の、君の色だけがわからない季節。
言い方はあるにせよ、正しく全員ちょっとずつ狂っている。もうそれはラブコメの大前提としてそうあってほしいし、醍醐味でもあると思う。原作フ>>続きを読む
自分のこぶしをふたつ並べて、どちらか好きな方を選び、それを続けて行くこと。日々は誰のせいにもできないことばかりで、背負うことも、免れることも、どっちも嫌だと笑えていた頃のままでは、立ち行かなくなってし>>続きを読む
わたしはここに映っている、人と動物の世界を眺めているだけで幸せだし、元々イオセリアーニを好きになった理由は、そういうシンプルなものだったなと、本作を観ながら思い出していた。しかし、そこにいる人、ひとり>>続きを読む
こっそり覗いているのは自分たちの方だと、誰もが信じて疑わないように、ここにある日常に根差したもののほとんどが借り物であるということについて、わざわざ誰も触れようとはしない。木にばかり気を取られてしまう>>続きを読む
これはイオセリアーニが撮った映画だろうか。ひょっとしたら、どこかの酔っ払った映写技師が、そこらにあったバラバラのフィルムを適当に繋ぎ合わせただけの、間に合わせの映画かもしれない。そんなふうに、余計なこ>>続きを読む
これは、ひとり、大切な人と重ねた記憶だけを書き起こして、手紙を書こうともがく男の、物語、イメージのようだった。そうは見えないかもしれないけれど、わたしにはそういう、かたちのない虚しさというものに、もう>>続きを読む
空がまわり、タイヤがまわり、ミシンがまわる。みんなで望む黄昏れの夕景は、まるで映画のように、多くのまなざしをあずかり、いつもより少しだけ切なく、エンドロールの時間が流れて行く。どこまでが彼女たちの暮ら>>続きを読む
わたしたちには、わたしたちそれぞれに、日々の生活において簡略化されていく、と言えば聞こえはいい、横着になっていく様式があり、他人から見れば、それは非常識だったり突拍子のないもの、だらしのないものに見え>>続きを読む
ハッピーターンを頬張ることで満たされるこの気持ちは、無自覚に自分が包装の側であると受け入れているからこその幸せ、憧れに近いのかもしれない。今まさにかさばり、空回っている状況を、焼け石に水だと笑うしかな>>続きを読む
若者たちのありふれた、ありえる時間がそこにはあって、本当くだらないこと、聞いている方が恥ずかしくなってくるようなことを、血迷ったわけでもなく、まさに彼らが日常の中で口走っているように見えていること、そ>>続きを読む
あったかもしれない未来を、過去から探すということは、何か責任逃れをしているような気持ちになる。後付けの飾りばかりとなったわたしの思い出もそう。どれもこれも説明のいらない整然とした様式に則り、同じ顔で、>>続きを読む
ずっとそばにと、考えないようにしていたのは、考えない日はなかったという、表情からは読み取ることのできない愛情、信仰の裏返し。軽率な噂話によってすり替えられるシナリオや、幼い頃の記憶に呼び戻される瞬間を>>続きを読む
心のままに生きて来たからと言って、姿形が当然のように、子供から大人へと変わって行くことの、その理由にはならない。しかし、白で覆い隠せば、いつもと同じに見えるその世界の景色は、疑いや焦りをひた隠しに、体>>続きを読む
歯は痛んでも、どの歯が元凶であるかまでは不確かで、それを気のせいだと自分に言い聞かせるのは後回しにしたいという気の重さであり、臭いものにする蓋である。全てはわかっていて、決まっていて、いつか、いよいよ>>続きを読む
大事そうに、そのつぶらな瞳を忘れない、とわたしのレビューメモには書き留めてあり、これ系と言ったら、最近はもっぱらサメが舞い上がる映画ばかり観ていたもので、この超まともなアニマルパニックには身が引き締ま>>続きを読む
ちゃんとしてる。いや、どうかしてるんだけど、ここまでちゃんと(長々と)したプロローグがあったなんて。ただ、この手の映画は中途半端じゃ微妙になってしまうのかもしれない。その先で見られたようなZ級まで振り>>続きを読む
前回のシャークネード祭りから数年が経ってしまっていた。だから、ほぼこの四作目から観始めたのと変わらない状態で、正直意味がわからないところも多く、登場人物やお決まりのノリもすっかり忘れてしまっていたけれ>>続きを読む
立ち入るべきではないという心理より先に、肉体は早々と風景に溶け込もうとしていた。それは眠りとも異なる、今となってはもう別物となってしまった色と色とが混ざり合う直前の緊張感、それに近い。ただ、恐ろしい程>>続きを読む
そのまなざしは、いわれのない運命にしたたかに抗い、曖昧な確証に騙されることもなく、語り部の記憶から抜け落ちた、あるひとつの断片を探し続けていた。何の巡り合わせでもないはずの、しかし、どこか導かれたよう>>続きを読む
息を吸ったばかりの身体から、押し出されるようにため息がもれる。平穏な暮らしとは、あふれる苦しみもそう、ままならない愛や無関心について思い知る日々のことで、それはこの呼吸に慣れていくことと、深く結び付い>>続きを読む
大好きだったことを、ある瞬間から、あるいは始めから黒歴史であったかのように拒み、忘れ去ろうとしたことがある。ただ、ものは捨てられることもあるけれど、できごとはそうはいかなくて、都合良く忘れることもまた>>続きを読む
年始に、大阪湾にクジラが迷い込んだという短いニュースを聞いた。信じ難い災害や、思いも寄らない事故が起こってしまう世の中において、このニュースがどれだけの人の心に残るのだろう、そんなことを思いながら。わ>>続きを読む
人それぞれ、抱えているものは違うし、その大きさも、また人それぞれ。不安や苛立ちは容赦なく、日常の風景を絡めとっていってしまう。そんな中にも、守り抜いて来たいくつかの楽しみがあり、新しく生まれるおかしみ>>続きを読む
右も左も同じに見えているうちは、誰かがまっすぐ羽ばたくための標にでもなろう。何も欲しくはないけれど、誰かにとって必要なものも不要なものも、自分は持っている。そう名もない鳥は言った。ただ、空の素晴らしさ>>続きを読む
そこにある他人とそっくりに動かせた体、それを他人のもののように働かせた心を、わたしは知っている。それは止むに止まれず日常を生きるわたしのことでもあると、彼女は知ってくれていただろうか。これは彼女が自分>>続きを読む
あの星はとうの昔に消滅している。ここから望むひかりは、もう存在しないものの過去とわたしとの果てしない距離だ。時間は存在しない。もし、わたしにも残せるものがあるとするなら、せいぜいその光跡にあたる何か、>>続きを読む
色を重ねていくというよりは、時間を重ねていくよう。生まれては消える存在、現象。驚くべき速さで膨張し、数年をかけて収縮する、孵化して間もない、そう見える宇宙の亡骸と、その呻き声。幾ら時を経ても、発見され>>続きを読む
もしかしたら、物の見方というのは、対象によって変わってしまうものではないのかもしれず、そう考えると、ハーブのアーティストに対する姿勢と、ドロシーに対する愛の示し方は、同じもののようにも思えて来る。ハー>>続きを読む
インディペンデント映画の方が、その作家性を発揮できるという監督は一定数いるのだろうし、その属性を持ちながら、規模の大きな大衆映画も撮ってしまう監督だっているのだろう。それで言うなら、リチャード・リンク>>続きを読む
生きて来た分の重力がしっかりと見て取れる、嘘のない姿がそこにはあって、一度きりの人生を何回も生きた心は、徒労に終わる結末だけは避けようと、記憶の中の言葉に淡い期待をする。歩き始めた場所が、とうに見えな>>続きを読む
思い描いた通りの姿は、ここにはない。それよりもずっと素晴らしいと胸を張っていたとしても、こんなはずではなかったと落ち込んでいたとしても、どちらでもなかったとしても、初めてわたしを見る誰かの目には、それ>>続きを読む
ジェシーはしっかりアメリカ人で、セリーヌはちゃんとフランス人だ。異なる気質や思想をカードのように切りながら、時間を楽しむふたりのことが、何度観ても素敵でたまらない。古より平坦な今日は、手相ひとつで山に>>続きを読む