このレビューはネタバレを含みます
わたしはゲームのバイオハザードは全くプレイしておらず、幼い頃、友人がプレイしているのを隣でビクビクしながら見る、その程度しか触れたことはなかった。だから、ゲームの大ファンの方たちから観た本作が、どこま>>続きを読む
あの時君は泣いていたのか。泣いていたのはわたしの方か。Basket Caseと聞くと、わたしはいつも、この観たこともない映画のタイトルと、アメリカのバンドGreen Dayの同名曲のことを思い浮かべて>>続きを読む
ここには善も悪もなくて、それぞれが粛々と、それぞれの人生を生きている、ただそれだけのようにも見える。最高に面白かった。何の説明にもなっていないようで、それが却って説得力となって脳裏に焼き付いて来る。わ>>続きを読む
原作を読んでいた当時、リョータのエピソードの少なさに物足りなさを感じていたわたしのような読者には、届かなかった痒いところに手が届く、とてもありがたい映画だった。視点が変わり、再構築された物語は、また少>>続きを読む
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本作は大ヒットしたし、好き、感動したという人の気持ちも理解はできる。わたしも概ね好きだったけれど、同時に落ち込んでもしまっていて。何だろう、物語のはじまりが、ロボットを買う、だから何かスッキリしないの>>続きを読む
絵を描くことが好き。そんな子どもは、きっとごまんといて、その気持ちや考えに生かされた夢は、いつか描くことをあきらめる夢までも、描こうとする。行き詰まっていたのは、ぽっかりと空いて思い出せなくなったのは>>続きを読む
ダーレン・アロノフスキーの初期作品、ほどではないものの、程々に神経質なモノクロが良くて、思わず食い付いてしまった。こういうのでいいんです、わたしは。普通に観てしまう。VR技術を題材にした物語も、今とな>>続きを読む
こたえるより、それを知るより、壮大で果てしない問いそのものが、言葉にすることのなかった記憶の一室に残る、ぬくもりであった頃の愛さながらに、わたしを傷付け、魅了する。説明のつかない不可解な反応も、情熱や>>続きを読む
こういう、むしろ第二言語的なものでイメージを共有し、それが機能して行くコミュニケーションの流麗さ、それがここしかないというタイミングで噛み合うことの尊さ、わたしには想像すらつかなかった幾何学のその先、>>続きを読む
日常の何気ない会話や視線を、親と子、それ以前に、男と女はそれぞれ違う視点で読み取るのだろうし、その角度の選択、情報量の差には、あまりにも開きがある。また相手の言動に対して、反射する人と、反応できる人と>>続きを読む
別に仲良くするつもりも、気が合うとも思えない、偶然一緒に旅をすることになった、ただそれだけ。カメラが捉える無愛想なあなたの顔にはそう書いてあって、訳あって旅に同行することになった青年と、あなたたちに密>>続きを読む
ギヨーム・ブラックが本家を知らずに説明だけを聞いて(聞いてなくて)撮ってみた、とあるレジャー施設の『ドキュメント72時間』みたい。でもちょっと嘘でしょうこれは。ドキュメンタリーでこんなにしたたかなもの>>続きを読む
フレームの数だけ人生があるのではなくて、フレームを見つめる瞬きの数だけ、あるいはフレームを充たす存在の分だけ、わたしたちは人生と名付けることのできる景色と出会えるということなのかもしれない、そんなこと>>続きを読む
境界線というのは、社会やわたしたちの間に引かれた、間に合わせの線だと思っていて。そういうものが個人単位にまで広がり、もはや収集がつかなくなっている現状は、資本主義の産物のひとつと言ってもいいのかもしれ>>続きを読む
あなたへ。そう宛てられた、あなたと、あなたへの恋しさは、その質量を失うことなく時を超えて行けるのだろうか。ただならぬ夜の長さ。明ける頃には薄れてしまう夢の輪郭。わたしを不安にさせる、前置きばかりで見込>>続きを読む
理解を通り越してふくらむ想像の力が、映画を観ている時に働く、働いているなと感じることがある。わたしはそうやって、映画を自分のところまで手繰り寄せることが多い。でも時々、映像が先にふくらみ始めて、既視感>>続きを読む
わたしたちは何度も何度も経験を重ね、自分を守る術を培っていく。それがいつか、助けになる時が来ればいい、ならなければ、さらに糧として積み上げていく。ただ、そうやって得られるものの多くは、あくまで自分を守>>続きを読む
人生と呼ばれることのある、人が人でいられる時間とは、そうではいられなくなる瞬間を引き伸ばしにしたものに過ぎなくて、百年以上に及ぶ連続写真の端に写るわたしたちの、少なくとも、ここに生きた者たちの人生が、>>続きを読む
これは小津安二郎が撮った映画ではなくて、小津調でラース・フォン・トリアーが撮った映画なのでは。そんなことを思ってしまうほどの悲愴感、何も信じられず深まる孤独、僅かな優しささえ、悪い方へと転がって行って>>続きを読む
紀子三部作のメモとして。
『晩春』
いや食うよ、食う、食う食う。めっちゃ言う笠智衆に笑った。父親とそりが合わないわたしみたいな人間にはちょっと気持ちのわからない部分もあったけれど、明るく奔放であった>>続きを読む
あなたの話は、わたしにはつまらなくって、でも、あなたにとっては、つまらないことなどひとつもなかったと知る。いくつになったら、まるで聞こえない音のように、わたしの声や言葉もつまらなくなってしまうのだろう>>続きを読む
鳥の羽ばたく音や虫の羽音って、今こうしている間にも、ある世界からある世界へと羽ばたいた者たちの物語が並行して存在しているということでもあって、その気配が今、同じ時代のそこかしこにあるということが、とて>>続きを読む
こうも理解から遠くかけ離れたところにいるのかと、黙される彼女の物いう瞳に、ただただ圧倒されて、わたしは何度も言葉を失い、一方で、舞台袖から見ているようなその横顔に心を奪われもする。他人にはわからないも>>続きを読む
ホラーとかスリラーとか、猟奇的で、その類いのただならぬ出来事が起こってはいるのに、全く違うにおいを放つこの物語は、果たして物語っているのか、それすらも怪しい。ただそれはそれとして、アンニュイが実体化し>>続きを読む
この90年代頃のホラーの何がこわいって、裏回しみたいなキャラクターが何かの間違いで取り返しのつかないことしでかすんじゃないか、という割りとしっかりとしたコメディの部分に肝を冷やすわたしはなかなか良い観>>続きを読む
ママの実家はお化け屋敷、というからにはこれはホラーなのだろうし、確かにそう。でも、鑑賞していくうちに、そこはかとなくコメディのにおいもしてくる不思議。多分ね、母なんです、表情です、良い味出ちゃってる、>>続きを読む
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それはわたしたちひとりひとりのことなのだと思った。誰かとの会話の後にいちいち汚い言葉を吐き捨て、その沸々と煮えたぎるものに蓋をと、何かに依存せずにはいられない人たち。この怒りや苛立ちは、どちらかと言え>>続きを読む
間違いだらけのあなたのこたえは、わたしのこたえとよく似ている。動いている世界の半分が嘘だとしても、あとの半分に込められて来たものを信じられなくても、どちらを愛したって、どちらを愛さなくたっていいように>>続きを読む
宝物を見つける、手に入れるという幸せは、それと同じだけか、それ以上の不幸せを、知らずに背負うことでもあるのかもしれなくて。そう考えてみると、わたしがすべての宝物を思い出せるわけではないのも、もしかした>>続きを読む
覚悟は並大抵、それくらいでもいい。いま必要なものは、空いたお腹を満たす出来立てのお料理、その隅っこに添える、ちょっとした、ほっとする、そういう付け合わせみたいな時間と、もう逃れなくてもいい、わたしの不>>続きを読む
素晴らしかった。でも、何が素晴らしいのか、わたしには説明が難しい。冒頭の会話と終盤の会話の何が違うのか、わたしがそこに覚えた違和感、けれど、それが何なのかはわからない。もしかしたら、それは情報の有無な>>続きを読む
目の前の誰かと話をしている時に、その人、その場と関係のない誰かの言葉を借りて、まるで自分の言葉のように話をしてしまうこと。わたしという単位が、わたしたちと更新される時に、どれだけ建設的に関係を築いてい>>続きを読む
この声が大切なあの人に届けばいいのに。『君に届け』の続編というわけでも、奇跡的に話が繋がっている、というわけでもないけれど、ただそこにいる多部未華子と三浦春馬の佇まいに、ちゃんとあの物語のふたりの面影>>続きを読む
『天然コケッコー』や『ハチミツとクローバー』と並ぶ、あの頃の君たちを愛でる系青春映画で、ずっと多部未華子と三浦春馬が可愛い。基本平和なところも良い。ふたつくらい歯車が狂ってしまっていたら悲惨な物語にな>>続きを読む
傷にしては深く、重い病のように熱い。絶望であったかもしれない、孤独であったかもしれない、悲劇と呼ぶこともできたはずの、そうではない名をつけられた、この女と男の物語は、その痛みの中までをも露わに、時の流>>続きを読む
一切隙のない、どこを切り取ってもカウリスマキ印の世界。そして、その素晴らしい世界の中にはいつも、目を背けてはならない、背けようのない現実が、素っ気なく刻まれている。だから、そこに生きる人々の表情にも、>>続きを読む