サマセット7

野良犬のサマセット7のレビュー・感想・評価

野良犬(1949年製作の映画)
4.0
監督は「七人の侍」「用心棒」の黒澤明。
主演は「七人の侍」「羅生門」の三船敏郎と、「七人の侍」「生きる」の志村喬。

若手刑事の村上(三船)はある夏の暑い日、バスの中で拳銃をスられてしまう。
何とか拳銃を取り返そうとスリの前科者を当たるなど悪戦苦闘する村上だったが、無情にも、彼の拳銃を使ったと思しき強盗傷害事件が発生する。
村上は辞表を提出するが、上司から翻意を促され、ベテラン刑事佐藤(志村)と共に強盗犯人を追うこととなる…。

黒澤明監督のフィルモグラフィーの中では、比較的初期の作品。
監督デビューから6年目、羅生門で国際的な評価を得る2年前に公開された。
黒澤監督作品の常連の俳優、志村喬と三船敏郎が主演を務めている。
三船敏郎は1947年に俳優デビューして、同年「酔いどれ天使」にて黒澤作品に初参加。今作はそのわずか2年後の作品である。
撮影当時、三船敏郎は28歳前後である。
黒澤明監督は、まさにその「酔いどれ天使」が傑作と評価されて国内の注目を集めた。
モノクロ作品。

今作は、黒澤明監督の初のクライム・サスペンスであり、当時の日本映画としては画期的な刑事バディものであった。
今作は刑事ものジャンルの日本映画の古典と評価されており、現在でも評価が高い。
芸術祭文部大臣賞受賞。
日本映画のオールタイムベスト企画などで、他の黒澤作品同様、しばしば選出される作品である。

今作は現代の視点から見ても、非常に面白い刑事バディもののサスペンスである。
見どころはたくさんあるが、特に三船敏郎と志村喬の名優2人が、師弟関係に近い若手とベテランの刑事を演じている様子が何よりの魅力だろう。
もちろん、黒澤明監督の特徴的な演出が多く観られる点も大変楽しい。
ユーモアもありつつ、深い情感と感慨を覚えさせるストーリーも、さすがは黒澤作品。
そんなわけで、黒澤明作品をいくつかピックアップして観るなら、是非とも候補に加えたい作品になっている。

俳優三船敏郎の魅力は、鋭い眼光、しなやかかつ俊敏な動き、モノクロ映像を通しても伝わる精気など色々とあるが、今作では、不器用、情に厚い、一徹、耐え難きを耐える、といった、人間的な魅力がよく出ている。
今作で三船が演じる村上刑事は、自らの失策で失った拳銃が犯罪に使われ、やがて人命に関わることに懊悩する。
村上は、悩み苦しみながら、周囲の助けを借り、失策を取り返すために必死の捜査を続ける。
誰しも経験があろうが、失敗に向き合うことは、とても苦しい。
他人に迷惑をかけた時には尚更だ。
そんな中、やるべきことを続けることは、もっと苦しい。
村上刑事の悩み、苦しみ、その中で光る確固たる意志の力を、若き三船は演技の域を超えて表現している。
それこそエサを待つイヌのように女スリ師にしつこく食い下がるユーモラスなシーン!
苦悩に頭を抱えるシーン!
重要参考人の踊り子に食い下がるシーン!
犯人と対峙するシーン!
特に惨劇に遭い慟哭するシーンは今作の白眉だ。

志村喬は、世界映画史上でも最高級の情感を生み出す名優中の名優だが、今作でも、酸いも甘いも噛み分けたベテラン刑事を演じて見事である。
志村演じる佐藤刑事の言葉一つ一つが、失敗に苦悩する村上刑事にとって導きとなる深みを持つ。
それらが志村の口から発せられることで、何とも言えない説得力をもつ。
今作は暑い夏の日々を描いた作品だが、生活の一部として汗を拭き拭き、市民と自然に交わりつつ捜査を進める姿は、実に味がある。
佐藤刑事の事情聴取シーンは、どれも印象的。
刑事の厳しさと、人間的な大きさや優しさがブレンドされ、ついつい口を割りたくなる気持ちもわかる。

黒澤明監督は、その特徴的な技法である「音と画の対位法」といわれる演出を今作で多用している。
緊迫した場面で、一見そぐわない明るいメロディが流れるという演出である。
観客は、穏やかな日常の中で、およそかけ離れた緊迫した行動が行われている、という不調和に、かえってリアリティを見出す。
特に印象的なのはラストの村上刑事と犯人が対峙する際に、遠くで奏でられたピアノの調べが聴こえてくるシーン。
音楽は穏やかなのに、画面には緊張感が漲っている。

刑事が拳銃を盗まれる、というアイデアは、黒澤明監督と共同脚本の菊島隆三が実際に警察署でリサーチして入手したもの。
こうしたアイデアの入手法も作品のリアリティに貢献している。
公人として、個人としての責任の取り方、失敗と挽回、故意による犯罪と過失による失敗など、様々なことを考えさせる優れたストーリーである。

今作のテーマは、苦しい場面で自棄になるな、やるべきことを為せ、そのために、物事の捉え方を誤るな、ということかと思う。
同じような苦しい体験をした村上刑事と犯人の、その後の行動の違い、村上刑事を諭す佐藤刑事の言葉の一つ一つが、このテーマに沿って理解できよう。
人は苦しい場面に出逢ったら、他人や社会のせいにして、自棄になったり、道を誤ったりしがちだ。
しかし、悩み苦しみ暴走したところで良い結果にはならないことが多い。
大切なのは、建設的に物事を捉え直すこと。
そして、やるべきことを見失わないことだ。
こうしたテーマには、黒澤監督の、人間に対する力強い肯定的メッセージを感じる。

失敗した時にぜひ観たい、勇気をもらえる、巨匠による刑事ものサスペンスの名作。
今作は終戦から4年後に撮られた映画だけあり、当時の社会や風俗が活写されている点も興味深い。
当時の風俗の再現に多大な貢献をしたとされるのが、今作の助監督、後に1954年に「ゴジラ」の監督となる、本多猪四郎である。
本多は監督として成功した後も補佐として黒澤作品に関与している。
なお、ゴジラには志村喬も出演している。
こうした関連を追うのも楽しい。