亘

街のあかりの亘のレビュー・感想・評価

街のあかり(2006年製作の映画)
3.9
【希望のひかり】
警備員コイスティネンは、さえない男だった。職場には居場所がなく恋人もいない。賢くないしローンも組めない。話す相手はソーセージ屋の女性だけ。ある日彼はレストランで出会った女性ミリアに恋をし接近する。しかしそれは罠だった。

負け犬コイスティネンが巻き込まれる不条理を描いた作品。何をやってもうまくいかない彼が、運命の人と出会えたかと思いきや裏があり彼は想定外の不幸に会う。健気なコイスティネンが不幸に見舞われる姿は悲しいけどもラストに差す希望の光が印象的。

74分と短い作品で、ラストシーンまでをまとめるとこんな感じでまさにコイスティネンの踏んだり蹴ったりな不幸を描いている。
うだつの上がらない男コイスティネンが出会った女性ミリアはマフィアの手先。ミリアはコイスティネンを連れ出し、その間にマフィアたちが盗みを働く。しかもミリアはその後コイスティネンの家に弁明に来ると見せかけて盗みの証拠品を置いていく。有罪となり服役したコイスティネンは出所後レストランで働き始めるが、ミリアと再会してから前科がバレて解雇されてしまう。

コイスティネンは、不器用でしがない男で、警備員としては管理者からやる気がないといわれるし、同僚からはいじめられていた。恋人もいない。仲がいいのはソーセージ屋の女性だけという男。ミリアも「彼は負け犬よ」と言ったり「バカで女々しい」とマフィアの男たちに明かしていて見下している。

まさにコイスティネンにとっては不条理で救いがないのだが、ラストシーンに希望が訪れる。失意のどん底のコイスティネンにソーセージ屋の女性が手を差し伸べるのだ。まさに不条理な世界の中の一筋の希望の光だろう。それに店の前にずっとつながれていた犬がこの時初めて放されるが、これも"負け犬"コイスティネンを表しているように感じる。

アキ・カウリスマキ監督自身「コイスティネンの救いは、監督が優しい老人だったこと」と述べているし、きっと監督自身希望を与えたかったのだろう。
思えば後の『希望のかなた』でも『ル・アーブルの靴磨き』でもカウリスマキ監督は、社会システムに疎外される弱者が人々のやさしさに救われる様子を描いていて、これこそ監督の思想のようなものの気がする。そう考えると、今作は監督の考えをコンパクトにまとめた作品といえるかもしれない。

印象に残ったシーン:ソーセージ屋の女性がコイスティネンに手を差し伸べるラストシーン。
亘