亘

皮膚を売った男の亘のレビュー・感想・評価

皮膚を売った男(2020年製作の映画)
4.0
【悪魔の契約]
シリアに暮らすサムは、恋人アビと結婚する予定だったが電車で口にした言葉が原因で当局に拘束されてしまう。その後難民としてレバノンに渡利苦しい生活を送る最中、彼はアーティストのジェフリーにある契約を持ちかけられる。

自らを芸術作品とした男の運命を描いて現代アートや社会問題を皮肉った作品。現代アートを皮肉る作品としては『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が浮かぶが、『ザ・スクエア』がインテリや現代アートの批判に真っ向から集中しているのに対して、本作はアートだけでなくシリアの問題を含めたり途中でラブストーリー的要素が入ったり終盤にどんでん返しがあったりしてよりエンタメ寄りな気もする。それに鏡を生かしたカメラワークも多くてより見やすいし引き込まれる作品だと思う。

[悪魔の契約]
サムは恋人アビに電車の中でプロポーズをする。車内の人々にも祝ってもらい幸せの絶頂にいたはずだったが、彼の口にした「革命」や「自由」という言葉がアサド政権下のシリアでは罪にあたるとして当局に拘束されてしまう。その後逃れてレバノンに逃げるも、アビは親の勧めでベルギーに住む外交官と結婚してしまい、彼は自暴自棄に陥る。そこで出会ったのが現代アーティストのジェフリー。彼はサムにある契約を持ちかけベルギーへの渡航と生活を保障する。

状況の説明のパート。鏡を多用した意味深な美術館のシーンから始まりサムの不遇と数奇な出会いを描く。ここで強調されるのは社会の理不尽。ただ他意なく発した単語だけでサムは罪人となり、アビは自らの意思と関係なく親が決めた結婚相手と結婚し、サムが貧しい暮らしをする一方で富裕層は優雅なパーティにさんかする。さらに物は自由に国境を越えるのに、サムは自由に移動できない。ジェフリーの提案はそんな状況のゲームチェンジャーであり、またその後サムを大きな渦に巻き込む「悪魔の契約」なのだ。そして本作が大きく動き出す。

[優雅な生活]
サムは背中にシェンゲンビザのタトゥーを彫り、それを実際のビザとして使いつつ現代アートとしての”仕事”に取り掛かる。仕事とはいえ美術館の台座の上でずっと座り続ける仕事。初めは戸惑いのあった彼もイヤホンで音楽を聴き続けるなどして徐々に慣れていく。ただ座っているだけでベルギーの高級なホテルに泊まって生活も保障されている。アビとの電話での彼のはしゃぎようは、楽しそうだった。しかし一方でアビは夫の様子を常に伺っている。彼が会いに行った時も嬉しそうな反面で少し不安そう。すんなりとは事が進まないのだ。

契約の光の面が見えるパート。貧しい生活を送っていたサムが、突然楽な仕事を得て高級ホテルでキャビアを食べたりして優雅な生活を送る。特に皮肉なのは、彼の待遇の変わりよう。モニカ・ベルッチ演じるジェフリーのアシスタントは、ベイルートのギャラリーで彼を人扱いしていなかった。しかし今では彼が”物”となることで彼の待遇が改善し、人々は彼を見上げるようになるのだ。一方で彼とアビの再会のパートも印象的。まるで不倫映画の逢い引きかのようなシーンがあってシリアスの雰囲気のアクセントになっていた。

[人か物か]
芸術作品となった彼が有名になると周囲も騒がしくなる。特に大きいのは、シリア人人権団体の反発。ジェフリーや美術館は、地位が下の難民であるサムを物扱いして彼の権利を踏み躙って稼いでいるとして反対活動をするのだ。ただこれはサムが望んで行ったことだから、サム自身は人権侵害されていると考えていない。いわば外野が騒いでいる状態なのだ。またアビが夫に連れられて美術館に来るし彼の周囲が騒がしくなる。さらには背中の吹き出物の問題や美術蒐集家への販売など彼は美術品として取り扱われ、徐々に当初の彼の喜びも薄れていく。

サムの美術品としての意欲が下がってくるパート。このパートで特に大きいのは人権団体の登場だろう。彼が望んで悪魔の契約を結んだのに、突然外野の人々が彼を格好のネタとして取り上げる。ここで批判しているのは、人権”かもしれない。人権団体が当人たちの思いを超えて彼ら自身が「問題」として捉えたことを声高に主張する。そもそもこのジェフリーの作品自体、「人よりもビザという”物”の方が力が強い」という状況の皮肉を訴えかけ人権も問いかける作品である。もちろんサムの契約の背景を知らない人からすれば、この奇妙な状況を疑問視したくなることもわかるが、文脈を読まずにターゲットを見つければ非難をするポリコレ的な人権活動への疑問があるように感じる。
とはいえその後の吹き出物が原因の”修復”や美術コレクターの演説のシーンなどはやはりサムの意志を考えない物としてしか見ない様子が見えて、やはり人権よりも自らの利益を考えるエスタブリッシュメントへの批判もあるし複雑なパート。

[悪魔は誰か]
しかしあるオークションから彼の運命は大きく動く。自分が他の美術品よりも安く落札され、自分の意思とは関係ない人に売られたこともあり、彼はついに動く。オークション会場で暴れ出し拘束されるのだ。”物”として見て安心していたものが突然暴れたために人々は逃げ惑い、彼は急に人扱いされて逮捕されてしまう。その後も彼の皮膚だけ闇市場で売られるなど世界は彼の意思とは無関係に動く。しかし冒頭の美術館に戻るシーン以降の伏線回収は強引とは感じつつも秀逸でジェフリーの本心が透けて見えると同時に美術品に踊らされる人々への痛烈な批判が見える。そして何より想定外にハッピーエンドで終わることが印象的だった。

展開が早く本作の印象が大きく変わるパート。伏線回収に驚くと同時に皮肉が痛烈。サムは”物”扱いされていたのにオークション会場での事件から急に人扱いされて逮捕される。このオークション会場の様子は『ザ・スクエア』のサル男のシーンを思い出した。人々は所詮アート”作品”だとして相手が人だという事を忘れて自らに危害がないとたかを括っている。しかしいざ相手が危害を加え始めると物扱いしたことを忘れ、”危険なやつ”として逃げ出すのだ。アート作品を単なる投資対象としか見てないような富裕層の態度が出たシーンだろう。
また本作で最も衝撃的なのは、冒頭に戻るシーンだろう。サムの皮膚が闇市場で転売されるが、その裏にはジェフリーの策略があった。これこそアートの価値もわからず、話題性などで踊らされ、結局サム自身のことを考えていない”愛好家”への痛烈な皮肉だろう。きっと悪魔はジェフリーではないのだ。そしてラストの清々しいシーンは、そんな汚れた世界とサムの訣別を描いているように感じた。

印象に残ったシーン:美術館に人権団体が来るシーン。アパートの階段でサムとアビが話すシーン。美術館にいるジェフリーとサムが電話するシーン。
亘