亘

PITY ある不幸な男の亘のレビュー・感想・評価

PITY ある不幸な男(2018年製作の映画)
3.6
【哀れな男】
弁護士の男は、その妻が昏睡状態に陥って以来悲しみに暮れていた。そして周囲は彼に同情し差し入れをしたりクリーニングの割引をしたりしていた。そんなある日妻の容体の変化から彼の心のバランスが崩れていく。

自己憐憫に幸せを感じてしまった男の末路を描いた作品。「籠の中の乙女」や「ロブスター」の脚本家の脚本ということで、全編に漂う気味悪さや人の歪んだ欲望を極端に描いたコミカルさにヨルゴス・ランティモスらしさを感じる。一方でランティモス作品ほどの鋭さやカタルシスはなくて、今後のこの監督に期待したいところ。

["哀れな男"の日常]
妻が事故でこん睡状態に陥ってから男の生活リズムは変わった。まずは寝室で一人むせび泣き、その後朝食前には隣人からお見舞いのオレンジケーキの差し入れをもらう。その後息子と一緒にオレンジケーキを朝食に食べて飼い犬にもケーキをあげる。クリーニング店では同情から特別割引をされて職場の弁護士事務所では秘書からも同情を受ける。一見彼は良い人たちに囲まれているようにも見えるのだけれどもこれが何度も繰り返されるとくどくなってくるしオレンジケーキを今か今かと待つようになると違和感も覚える。いつしか彼は"哀れな男"キャラのような位置になり彼もそこに安住するようになるのだ。

そして彼は"哀れな男"の位置を維持する努力まで始める。流れない涙のために催涙スプレーを使い、息子が明るい曲をピアノで弾こうとすれば静止して自作の妻を嘆く曲を歌う。

[”哀れな男”に戻るために]
絶望と思われていた妻が復帰してからは彼の生活が大きく変わる。彼は同情されなくなったのだ。いつしか妻が人々の話題の中心となり、隣人はオレンジケーキを持ってこなくなった。行ってみれば彼は安住の地を追われてしまい、”不幸な人”から”普通の人”になってしまったのだ。男にはもう誰も関心を寄せない。

だから男はまた悲劇のヒーローになるために、極端な行動に出る。この流れはある程度読めていたけれどもあらゆる方面から男は仕掛け徐々にエスカレートする。妻の病気をに乳がん検診を勧めたり、息子のピアノを壊したり、犬を海に放したり、そして最後には大事件を引き起こす。淡々と進む様子はコミカルでもありランティモス作品を想起させる。

彼の計画がうまく行かない様子もまた彼への皮肉だけれでも、それ以上に彼が弁護士として携わる事件への取り組みが皮肉になっている。彼が被害者に犯人への同情は無用だとして犯人を有罪にできると話すのは、彼自身が同情を求めていることとの対比だろう。

また本作で印象的な穏やかで美しい海もまた彼への対比だと思う。穏やかな海は、何も問題がない平穏無事な日常の象徴。彼の求める同情されるような事件の起こる非日常とは正反対なのだ。だからこそ妻が戻ってから彼は、自分が悲劇のヒーローになる非日常を求めて職場の絵を穏やかな海の絵から嵐の海の絵に変えたのだろう。

とはいえ最後の大事件後の彼の表情は、やりすぎてしまったという無情を表していると思う。さらに浜に泳ぎ着いた犬の姿は、彼の計画がうまく行かなかったことの象徴だろう。ギリシャの美しい海とは裏腹のブラックコメディだった。

印象に残ったシーン:男の嘘がクリーニング屋にバレるシーン。犬が浜に泳ぎ着くシーン。
亘