てっちゃん

蝿の王のてっちゃんのレビュー・感想・評価

蝿の王(1990年製作の映画)
4.2
牛乳瓶の蓋みたいな眼鏡の少年が印象的なジャケでお馴染みの作品であり、遭難した少年たちが徐々におかしくなっていくという話。

あれ?なんかどっかで読んだことあるな。
なんだっけ、、そうだ!十五少年漂流記だ!
でも圧倒的にダークサイド面が強いのが本作であります。
ちなみに本作にも、きちんと原作があるんだとか。

ざっくりとした内容は、書いたとおりなんだけど、私が観たのはリメイク版みたい。
オリジナルがすごく気になってしまうくらいに、こちらのリメイク版かなりの気合いの入りようでした。

特に、島の中での大自然の風景や動物たちのアップだったりが、とてもきれいで、そのあたりも見応えがあった印象。
島の中で少年たちに起こっていることは、自然からしてみたらほんの一瞬のことであり、些細なことにしかすぎないことを感じさせるショットと演出が良かった。

ジャック側が野生全開にして、行う儀式や行動の異常性というか発狂している度合が強烈すぎる。
狂気を剥き出しにした見事な演出に、野蛮な行為の数々、理性を失い、権力者として自覚するとき、神を崇めるとき、、全てが深く記憶に残る。

記憶力が半端じゃないくらいに落ちている私でさえ、この記憶が相当なことがないと消えないでしょう。

ただ少し気になるところがあって、出てくる少年たちが半裸になっていたりするので、そのへんはどうなのよ?とか思ったりもしたけど、それは製作された時代だったり、物語の設定的に必要なことだったんだろうけど、撮り方に下心があると感じたのは私だけなのかな。

物語もテーマも非常に分かりやすいものであり、「理性と野生。ひいては人間性とは?」であることは明らかである。
理性は崩壊し、野生(内なるもの)が芽生え始めるときを、とても印象的に描いている。

少年たちは、ほら貝を持っている者が発言でき、鳴らすと集会の合図であること、狼煙を常時あげること(救出されたいとこの時点ではみんなが思っている)という”ルール”を決める。

そこで理性側のラルフ、野生側のジャックが出てくるのだが、そこに人間性とは?を問い掛けるピギーが出てくる。
このピギーの立ち位置があるからこそ、この物語が実に立体的になり、彼の眼鏡はまさに人間が進化してきた文明の証ではないだろうか。
それに彼の発言は、自己可愛さ故に言っている発言ではなく、どんどんと対立していく子供たちに問い掛けている。
彼の後に起こることは、まさに文明の崩壊そのものではないでしょうか。

ジャック側が神と崇める”蝿の王”誕生の瞬間。
恐怖に打ち勝つためには神(象徴)が必要であり、行動の意味を確信する正当化するためには神が必要である。

その神は立場が違えば、それが持つ意味合いが全く変わるし、まやかしですらある。
でもそこに美味しいメリットがあれば、それを信仰するようになるかもしれない(ジャックからラルフたちが貰う肉のように)。
本作の奥底にあるテーマを、ほんの少しだけでも考えるだけでも、実に深みがある作品であることを感じとることができるかも。

そのテーマが主であるので、無人島サバイバル的な物語を期待している方には肩透かしかも。
サバイバル術も大して披露されなければ、島に着いてからとんとん拍子で島に順応していくから(子供だからこその順応と解釈すればいいのかな?)、ちょいちょいちょい少しは困れよ、君たち!と言いたくなる親心目線鑑賞スタイルは向かないかもしれません。

子供は天使だ、なんて私は思わない(感情的な面では違いますが)。
子供こそ残酷であるし、純粋であるからこそ、人間そのものを現しているのであるからこそ子供を中心としたのだろうか。
子供だからこんなことするわけない=人間だからこんなことするわけない、とも考えてしまうし。

これは大人も子供も変わらないが、権力者に従うしかないというか自分が生きていくためには選択をしていくしかない。
よくよく考えていけば残酷極まりないこの世に生きるためには、やはり”人間性とは?”と考えながら生きていく必要があるなと感じました。

本作は90分でとても観やすいのも好ポイントだし、原作は必ずや読んでみたいなと思った傑作でございました。
てっちゃん

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