人が住んでこその家、皆んなが楽しんでこその庭。
親がいる時は息子や娘も孫を連れてやって来て3世代が楽しく集った大きな家、広い広い庭。
母親が亡くなり広大な家と庭そして彼女の愛した美術品が遺された。
美術品を次の世代に引き継ぎたい長男。
海外に生活の拠点があるので処分を希望する長女と次男。
母は何故それらの美術品をずっと愛してきたのか?
そこには彼女の愛した人との歴史が詰まっているから。
長女が拘る銀食器も、そこには母との思い出や自分の歴史があるから。
しかし思い出に浸ってばかりいられないと事務的で現実的な問題は次々と片付けられていく。
そんな中、補導までされたヤンチャな孫娘はその広い家で仲間たちとパーティーをして家族との思い出に浸る。
彼女なりの祖母への愛と別れの嘆き方だ。
ここが結構グッと来るのです。
家庭で使われてきた骨董品の机が美術館に並んだ時から、それは芸術品となり多くの人に見てもらうという別の役割を果たすことになる。
親を見送り、やがて自らが祖父祖母と呼ばれる様になり役割が変わっていく…人間の力ではどうしようも出来ない時間の移り変わりが3世代を通して美しく描かれていた。
受け入れがたい問題を一つ一つ受け入れていくことが人生だよ…と言われた気がした。
そして思い出はそれぞれの心の中に生き続ける。