夏時間の庭の作品情報・感想・評価

「夏時間の庭」に投稿された感想・評価

dude

dudeの感想・評価

3.7
遺された芸術品を所有するのか手放すのか、その価値を吟味する大人たちの姿は中国の労働者について語るときのようにどこかに一線を引いているようである。価値の分かる大人からすると危なっかしく見えるだろう価値の分かっていない子供たちは、むしろ芸術そのものに近いのかもしれないと思わせるラストのシークエンス。もちろん彼らもやがて価値を知り次の世代を案じながらも見守るのだろう。
オリヴィエ・アサイヤス監督×ジュリエット・ビノシュ

母の75歳の誕生日に、3人の子供(息子2人、娘1人)と孫たちが集まる。
母は「自分が亡きあとは、家や財産は好きにして」と言い残すが、その家の調度品たるものや『オルセー美術館が欲しがっているの』と母親が言うだけあって、素晴らしい物ばかり。撮影には、実際の美術品を使ったようだ。(コローやルドンなどの絵画など)
思い出を大切にするか、物を自分のためにいつまでも大切にするか、という価値観を突きつけられた気がする映画だった。


母が「あなた、なかなか(フランスに)来ないわね」と言うと、娘(ジュリエット・ビノシュ)が「ニューヨークは遠いの」、母「こないだ、日本の雑誌を見たけど、よくわからなかったわ」→娘「あれは、TAKASHIMAYA向けに作ったの」なる会話があり、ジュリエット・ビノシュの口から『TAKASHIMAYA』なる言葉が出たのは少しビックリ(笑)…ただ、日本語字幕は「日本のデパート向け」と記載されているので、良く聞いていないと聞き逃す。

娘アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は、『ポール・ボルティエ・コレクション』として、美術品などはオークションに出してしまえば…などと言い、上海に住んでいる次男も会社資金が必要なので売却に賛成。ただ一人、売却したくないという長男の希望は叶わず、家も美術品も売却方向になっていき……という物語進行になっていく。


美しい風景の中で、お互いの気持ちを理解し合おうとする家族の素晴らしさを見せてくれたオリヴィエ・アサイヤス監督作品である。
ごじ子

ごじ子の感想・評価

2.7
膨大な金と人間の思惑が関わり永遠の美として崇められ守られる美術品と、それらを遺される人々のことを慮りながら逝く人、そして現実の世界を日々生きていかねばならない遺された人々。広大な美しい庭と古い家。郷愁や思い出とともに縛りや負担となっていく「過去」とこれから生きる次の世代。そしてまた彼らも成長し、老いていく。それでも広大な庭は美しく生い茂る。
Sho

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4.0
庭に降り注ぐ自然光、鳥の囀り、子どもたちの笑い声、草木をゆするやわらかな風、ワイングラスのふれあう涼しげ音。夏の昼下がりの何とあまやかな光景か。
かなこ

かなこの感想・評価

3.6
美術館で素通りされていく作品も、人の手で作られた以上必ず何かしらの思いが込められているけど、誰かにとっては思い入れのある品もその世界を出ればただのありふれた骨董品。けれど逆に家政婦さんの花瓶のように、また別の価値を与えられて求められることもある。それが悲しいような救われるような。ラストには正直眉をひそめたけど、それもまたあの家に与えられた別の意味ある価値なのかも。映像は家具はもちろんグラスやボトルのようなちょっとした小物にもセンスがあり、品のある作品という印象をもたらしてくれていた。 ​
冒頭の、明るく青々とした光で照らされていた家が、祖母の喪失の後では夕陽に照らされ影をまとい、ラストでは若者が集い再度明るい光で満たされる。終盤の移動撮影が素晴らしく、これまでの雰囲気とかけ離れたヒップホップが大音量でかかるという驚きの演出もあるが、一番の驚きは孫娘が静寂に包まれた中でボツりと心情を吐露するシーン。セリフの内容以上に、演出としての巧みさに虚を突かれて涙してしまった。
hk

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-
ラストが美しい。
芸術品でも邸宅でも、美しく使われるのが一番じゃないか。
yuum

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4.5
現実的、現代的なのに古いシネマみたいな感覚を覚える画面が絶妙でこの人の映画は本当にツボを押さえてくる。登場人物みな人間味に溢れていたけどおばあさんの強い存在感が最初から最後まで物語を支配していた。とにかく好きな映画だった。
エーコ

エーコの感想・評価

3.5
偉大なるヨーロッパの歴史としての、あるいは肉親との思い出としての、またあるいは無用の長物としての芸術品の行方についての映画である。同じ物に対して、異なる光が当たっていくのが醍醐味だ。ヨーロッパの歴史として語られる家財は、集団的な記憶でありながらも、もはや一部の人間だけが共有するものでしかなく、最終的に美術館という公共空間にあって管理されることになる。いかにも観光客らしい人々がその前をぞろぞろと通り過ぎていくところの、さっぱりとした残酷さはアサイヤスらしい。そこに、個人的な愛着や記憶としての光が当てられていくが、エロイーズという名の老いたお手伝いさんがそれらを無造作に扱う様や、「これは私の」と言って長女アドリエンヌが茶器を持っていく様は、やや感動的である。最後に、その家で不良な少年少女らが、歴史に対する畏敬もなにもなくパーティの準備をしている場面が出てきて、その中には長男フレデリックの娘の姿もある。アトリエでサッカーボールを蹴りあい、流行曲を流し、ハッパを吸い、酒を飲む。入り組んだ大きな家を映す以上、映画全体でいくつも移動撮影が出てくるが、ここでの長い移動撮影は爽やかなもので、アサイヤスはヨーロッパの歴史よりも、同時代的な若者文化の方にシンパシーのある人なのだと思ったが、あるいはそれはまやかしで、変化に蹂躙されていくマゾヒズムこそが原動力なのかもしれない。ウエルベックがラヴクラフトについてそう分析しているように。
Ricola

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3.1
故人の大切にしていた遺産を守るかどうかを決めるのは、結局残された子孫たち。

息が詰まりそうな都会の近くにこんな家があったらどんなに癒されるだろう。

家族といえど、個人にそれぞれの思い出が詰まった同じ場所があるなんて素敵。

風に吹かれて動く木々の音や鳥のさえずりがBGMの静かな家、いいな。
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