夏時間の庭の作品情報・感想・評価

「夏時間の庭」に投稿された感想・評価

netfilms

netfilmsの感想・評価

4.1
 母エレーヌ(エディット・スコブ)の誕生日を祝うため、経済学者の長男フレデリック(シャルル・ベルリング)、世界中を飛び回るデザイナーの長女アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)、中国で仕事をしている次男ジェレミー(ジェレミー・レニエ)とその家族が1年に1度だけ集まる。母親は長男のフレデリックに、自分が死んだら家も美術品も売却処分してほしいと頼む。その場では家も美術品も売らないと突っぱねたフレデリックだったが翌年、母親が死に兄弟たちは遺産相続という問題に直面する。今作は上流階級の家庭を舞台に、急逝した母が遺した豪邸と貴重な美術品の数々を前に、母への想いと理想と現実とのあいだで苦しむ3人の子どもたちの姿を静かに見つめた家族のドラマである。アサイヤスはここではお得意のアクションを封印し、ストレートなファミリー・ドラマに挑んでいる。かつて3人の子供たちが住み、今は母エレーヌだけが住む家は、名のある画家の大叔父ポール・ベルティエから受け継がれたブルジョワジーの家庭だった。たくさんの思い出を持ち、自分が生きているうちはこの家を大切に残そうと誓う長男だったが、長女と次男はまるで違う思いを持っている。長男はフランスで生まれ育ち、いまもフランスに居を構え、国外の生活を知らない。しかし長女は世界中を忙しく回っていて、次男は仕事の都合で上海にいる。アサイヤスの国内で撮った映画と国外で撮った映画の二重人格的な差異が、ここではそのまま兄弟たちの生き方や性格すらを形成する。

 生家を守ろうとする長男と、生家に思い入れのない長女、次男の対照的な関係を浮き彫りにしながら、それでもなお家族であることをやめない彼ら彼女らの自由な生き方を的確に描き出している。生前の母親も、母親の死後の葛藤の中の長男も、決して兄弟を糾弾したりしない。彼らの主張を民主的に受け入れることが家族の在るべき姿なんだと問いかける。ここでもまた次男の就職先に遠く離れたアジアを設定する。誕生会の他愛無い会話の中でも、現代社会への警鐘や痛烈な批判が盛り込まれ、やがて経済学者の地位も名誉もある長男フレデリックとその娘の間に突然の不和が起きる。人生というのはそういう受け入れ難い現実と向き合っていく作業なのかもしれない。今作のもう一つの特徴はオルセー美術館全面協力のもと、丁寧に集められた美術品だろう。一部の絵画を除いた全ての美術品が大叔父のアトリエだった生家を優しく飾る。バルビゾン派の代表的画家カミーユ・コローの手による2枚の抒情的な風景画をはじめ、ルドンの晩年のパステル画やルイ・マジョレルの家具、ブラックモンの花器などがあたり一面を彩っていて、幸せな気持ちになる。エリック・ゴーティエのカメラも、時にステディカムの機動力を駆使しながら、古い邸宅に集まる家族の入れ違いの行動を臨場感豊かに描写している。自然光の美しさとは対照的に、母親の死を予感させた暗闇の描写が最も印象に残る。ラスト・シーンの美しさは2000年代のフランス映画の中では屈指のクオリティである。3世代の物語が同じ場所を彩った時に、うつろい行く時間の残酷さと美しさを同時に感じ、思わず涙が溢れた。
ハンス

ハンスの感想・評価

4.0
祖母が亡くなって息子たちが実家を売り払うかどうかって話がこんなノスタルジックな雰囲気に浸れるとは思わなかった。最後ヤンチャな長男の娘が空き家になった実家で乱痴気騒ぎ始めるのかと思ったらまさかの感情でちょっとびっくりした
Zorba

Zorbaの感想・評価

3.6
ブルジョワのノスタルジーとか1ミリも興味ない話でつらかった。映画向きの内容ではない気がする。あと、なぜかシュティフターの晩夏を思い出した。
祖母アドリエンヌの逝去により残された芸術品と家、そしてそれに付随する相続税に翻弄される家族たちを描いた作品。
『夏時間の庭』という邦題さながらに、庭の描き方が美しい。冒頭、祖母の誕生日に集まる家族や兄弟、孫たちでにぎわう庭と、彼らが帰った宴のあと的な庭の対比が切ない。帰ることに夢中で忘れ物をしていってしまう、というちょっとしたギミックもさらに切なさを増幅させる。
唯一血縁関係にない登場人物である、お手伝いのエロイーズが全体を通じて非常に示唆的な役割を担っていたように感じた。芸術品を単なる鑑賞物としてではなく、惜しげも無く日常に使うさまは、知的インテリ層に対するカウンターパンチのような態度だろう。終盤、エロイーズが売られ行く家を眺めるシーンは地縁>血縁という構図を意識させられた。
人間の生死はもちろんのこと、物(特に芸術品)の生死についても考えさせられるようだった。
sonozy

sonozyの感想・評価

3.5
この季節らしいタイトルに惹かれて。
2008年、オルセー美術館開館20周年を記念し、オリヴィエ・アサイヤス監督がオルセー美術館所蔵の美術品と家族をテーマとしたオリジナル脚本を執筆し製作されたものとのこと。

舞台は、パリ郊外の小さな町ヴァルモンドワの広大な庭を持った邸宅。
画家だった大叔父ポールが生前使っていたアトリエのある地で、家政婦エロイーズ(イザベル・サドワイヤン)と暮らす母エレーヌ(エディット・スコブ)の75歳の誕生日。

経済学者の長男フレデリック(シャルル・ベルリング)、NYで暮らすデザイナーの長女アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)、上海での仕事が順調な次男ジェレミー(ジェレミー・レニエ)とその家族たちが久々に集う。

邸宅には、美術館が欲しがるような絵画、家具、食器、ポールの未公開デッサン..etcの価値ある資産が多数。
今後、ポールの回顧展が各地で開催されるのを楽しみにするエレーヌだが、長男フレデリックに、私が死んだらこれらの絵画・美術品や家はすべて売って、兄妹3人で分割しなさいと伝える。
フレデリックは家も絵画・美術品も家族代々守っていくべきだと反発。

そして、ポールの回顧展の1つ目が終わった後、母エレーヌは急死。
フレデリックは家や美術品の処分に最後まで乗り気ではなかったが、国外で暮しこの地に訪れる機会が少ない長女アドリエンヌや次男ジェレミーの異なる意見を汲み入れ、家も資産も処分することとなる。

色々と問題を起こしフレデリックを悩ませる長女シルヴィー(アリス・ド・ランクザン)は、家を譲渡する前に大勢の友人を招いてパーティーを開き、ふと祖母との思い出に涙する。。

資産家一族の相続という、庶民的には羨ましいね〜というお話ですが、パリ郊外の自然豊かな環境で過ごしていた家族たちの時間、エレーヌとポールの過去のお話、家政婦エロイーズさんの深い哀しみ・・にじんわり。
それと、ジュリエット・ビノシュ、改めて素敵でした。^^
dude

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3.7
遺された芸術品を所有するのか手放すのか、その価値を吟味する大人たちの姿は中国の労働者について語るときのようにどこかに一線を引いているようである。価値の分かる大人からすると危なっかしく見えるだろう価値の分かっていない子供たちは、むしろ芸術そのものに近いのかもしれないと思わせるラストのシークエンス。もちろん彼らもやがて価値を知り次の世代を案じながらも見守るのだろう。
オリヴィエ・アサイヤス監督×ジュリエット・ビノシュ

母の75歳の誕生日に、3人の子供(息子2人、娘1人)と孫たちが集まる。
母は「自分が亡きあとは、家や財産は好きにして」と言い残すが、その家の調度品たるものや『オルセー美術館が欲しがっているの』と母親が言うだけあって、素晴らしい物ばかり。撮影には、実際の美術品を使ったようだ。(コローやルドンなどの絵画など)
思い出を大切にするか、物を自分のためにいつまでも大切にするか、という価値観を突きつけられた気がする映画だった。


母が「あなた、なかなか(フランスに)来ないわね」と言うと、娘(ジュリエット・ビノシュ)が「ニューヨークは遠いの」、母「こないだ、日本の雑誌を見たけど、よくわからなかったわ」→娘「あれは、TAKASHIMAYA向けに作ったの」なる会話があり、ジュリエット・ビノシュの口から『TAKASHIMAYA』なる言葉が出たのは少しビックリ(笑)…ただ、日本語字幕は「日本のデパート向け」と記載されているので、良く聞いていないと聞き逃す。

娘アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は、『ポール・ボルティエ・コレクション』として、美術品などはオークションに出してしまえば…などと言い、上海に住んでいる次男も会社資金が必要なので売却に賛成。ただ一人、売却したくないという長男の希望は叶わず、家も美術品も売却方向になっていき……という物語進行になっていく。


美しい風景の中で、お互いの気持ちを理解し合おうとする家族の素晴らしさを見せてくれたオリヴィエ・アサイヤス監督作品である。
ごじ子

ごじ子の感想・評価

2.7
膨大な金と人間の思惑が関わり永遠の美として崇められ守られる美術品と、それらを遺される人々のことを慮りながら逝く人、そして現実の世界を日々生きていかねばならない遺された人々。広大な美しい庭と古い家。郷愁や思い出とともに縛りや負担となっていく「過去」とこれから生きる次の世代。そしてまた彼らも成長し、老いていく。それでも広大な庭は美しく生い茂る。
Sho

Shoの感想・評価

4.0
庭に降り注ぐ自然光、鳥の囀り、子どもたちの笑い声、草木をゆするやわらかな風、ワイングラスのふれあう涼しげ音。夏の昼下がりの何とあまやかな光景か。
かなこ

かなこの感想・評価

3.6
美術館で素通りされていく作品も、人の手で作られた以上必ず何かしらの思いが込められているけど、誰かにとっては思い入れのある品もその世界を出ればただのありふれた骨董品。けれど逆に家政婦さんの花瓶のように、また別の価値を与えられて求められることもある。それが悲しいような救われるような。ラストには正直眉をひそめたけど、それもまたあの家に与えられた別の意味ある価値なのかも。映像は家具はもちろんグラスやボトルのようなちょっとした小物にもセンスがあり、品のある作品という印象をもたらしてくれていた。 ​
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