■概要
ある男性は仮想現実空間による1937年のロサンゼルスを再現し、その仮想空間で生きる個体に人の意識を投入させるシステムを構築していた。ある日会社の社長が殺害され自身に嫌疑がかかったことで、仮想現実空間で社長が残したメッセージを探ろうとする…。
■感想(ネタバレなし)
マトリックスと同時期に公開だったというのは偶然のことなのか。
マトリックスとは違い派手なアクションはないものの、仮想現実空間に入る際には自分をモデルとした人間に意識をダウンロードさせる必要があるという縛りなどがあり、またサスペンスとしての完成度も高いため全く異なる切り口なのが面白い。
少し冗長的でテンポは悪いものの、1937年の世界観を見事に演出できているし、これもマトリックス同様にダークシティに影響を受けていると感じる作品。
なかなか古くても楽しめる作品でした。
■感想(ネタバレあり)
・オマージュ
世界の果てに気づいて自身がいる現実が仮想であると自覚するのは、ダークシティの行ったことのないビーチのある終点に行くとこの世が果てであることのオマージュなのかな。
マトリックスはダークシティの緑色の世界観をオマージュしていたし、やはりダークシティのディストピア世界観はよくできていた。
・マトリョーシカの世界
この映画の大前提のどんでん返しである、仮想現実を作った自分達もまた、仮想現実の中で作られた人格だったという劇的な内容。
ふと出張や旅行で飛行機に乗り気付けば目的地に着いているが、果たして自分は本当にその場所に移動したのだろうかと考える時がある。
飛行機という箱に入って移動したかのように感じさせられただけでロケーションを演出されているだけということだったら?
水槽の脳のように誰もが自身の現実を、証明する術はないというのは面白いなといつも考えてしまう。
・最後のシーン
まるで1937年の仮想現実から転送された男が観ていたテレビを消したように最後ぷつりとブラウン管が消える表現で終わる。
まるでその世界もまたマトリョーシカのように上位概念があるような終わり方が好みでした。
実際上位概念の世界があったとして行きたいとは思わないし、触れられたくもないというのは刑事が言った通りほっといてくれと願うしかできないのだろうな。