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読書する女のemilyのレビュー・感想・評価

読書する女(1988年製作の映画)
4.2
 「お宅で朗読をします」という広告をだすと、半身不随のエリックや、中年実業家、夫を亡くした将軍の妻、裕福だが親にかまってもらえない少女などの顧客がつく。それぞれ寂しさを抱えており、朗読を通じて内に秘めたエロスや孤独が浮き彫りになっていく・・

 コンスタンスがベッドで夫に「読書する女」という本を朗読している。次第にその声から広がるほんの中の世界が映画のそれとなり、どこが現実味のない広い空間や、鮮やかな色使い、寄り添う陽気なクラッシックが劇中劇を盛り上げていく。層を帯びた世界観、本の中の世界でさらに朗読した声から広がる世界、朗読を聞いてマリーが繰り広げていく世界もあり、複雑化された映像ではあるが、すべては声から広がる誰かが創造する世界をヴィジュアル化したものであり、それは声の質により、また自分が生きてきた世界によって変わってくるだろう。

 顧客から顧客へ、スタイリッシュだがまるで人が歩いていない街を爽快に歩く。寄り添うのはクラッシックだが陽気で鼻歌のように弾むメロディーに、次はどんな世界を見せてくれるのだろうと楽しみになる。コンスタンス&ほんの中の朗読をするマリーを演じるのはミュウ・ミュウ。ボーィッシュでありながら、かわいさと色気を兼ね備えた声は人々を魅了していく。しかしそれぞれの顧客は朗読を聞きたい以上に、寂しさや性的欲求を抱えており、その声から顧客の心の隙間を刺激していくのだ。顧客毎に空間や色使いも特徴的である。その人の性格を表すような文学書のチョイスも面白い。顧客とのバランスを保つのが「読書する女」であるという立場である。しかしその危うい紙は徐々に利用され、あるものには性的欲求を満たす物とし悪用されていく。

 本を自分で読むのと、誰かに読んでもらうのでは全く広がる世界が違う。また相手の顔を見ながら朗読を聞くのと、顔を見ないで朗読を聞くのではまた感じる物が違うだろう。誰かのフィルターを通すとほんの世界はさらに生き物として目の前に広がり、読む人の声が創造の世界と直結していくのだ。日常の会話で相手の声に耳を傾ける事は少ない。しかしその声からわかることもたくさんある。相手の話を聞くという事はただ言ってる事を理解するということだけではない。例えば相手が見えなければ、その声だけを頼りに情報を獲得しようとするだろう。声というコミュニケーションの手段を改めて深く考えさせられる作品だ。
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