nt708

それからのnt708のネタバレレビュー・内容・結末

それから(1985年製作の映画)
2.4

このレビューはネタバレを含みます

原作ファンとしてどのような仕上がりになっているのか気になって鑑賞しては観たものの、原作の良さを踏襲しているとはあまり思えないというのが正直な感想である。

まずもって全体的にメリハリがなく、雰囲気が暗すぎる印象を受ける。特に極限まで感情を抑えた演技。代助と三千代は、終始ささやき声で何を言っているかわからないところが多々あり、「感情を抑える演技」とはそういうものなのだろうか、、と疑問を持ってしまった。感情を抑え続けるふたりがカタルシスに向けて感情を取り乱すというやり方もひとつあるのだろうが、その様子もなく終わっていく本作に観客は何を思えば良いのかわからなくなってしまう。

一方で平岡は力が入りすぎ。確かに原作を読んだ時から両名とも快活なイメージはあったのだが、一定の分別を兼ね備えたインテリであるゆえ「うるさい」という印象は受けないはず。しかし、私が本作の平岡から真っ先に受けた印象は「うるさい」人間であるということだった。「うるさい」人間と言えば、書生がそうだろう。本作ではほとんど印象に残らない存在だが、代助のことを確かに尊敬していて少々話しすぎるきらいがある。ゆえに書生は「うるさい」小僧ぐらいのほうが良いと思ったのだが、本作からはそのような印象を全くもって受けない。

さらに言えば、肝心なる代助の設定に問題がある。代助は大いなる自己矛盾を抱えた存在だ。良家の生まれでありながら、父のような出世主義に走る人間を心から軽蔑しており、そのような人間を称賛する社会の全てをも忌み嫌っている。一方で自分はそのような人間のおこぼれに預かることでしか生きていけず、そのような矛盾に少なからず煩悶しているはずである。そのうえ(あるいは、それゆえ)社会の「常識」に反する形で家庭のある女性を好きになったことを打ち明けるのだ。本作からはそのような代助の捻じ曲がった心理を描き切れていない。ただ自分の現状に納得していないだけの人間に見えてしまったのである。

それは父や兄弟の存在が代助に対するアンチテーゼとして十分に描かれていないこともまた原因のひとつだろう。笠智衆は良い役者なのだが、代助の父としては優しすぎるし、原作において代助を支える最重要人物だった姉も本作において扱いが軽すぎるように感じた。父は出世主義こそ代助の幸せであると信じてやまない存在であるし、姉は父が思う幸せと代助の思う幸せが一致しないことを理解しながら代助の考えをその愛から何とか尊重してやりたいという気持ちを持っている存在だ。これだけ代助を愛する存在もが最後は代助を勘当することになるのだから、原作は読了後に得も言われない虚無感を抱かざるを得ないのだが、本作にはそれがまるでない。

そのほかにも三千代の象徴である白百合の花の描写がしつこすぎたり(確かに原作においても重要な象徴のひとつではあるのだが、ああいった描写はさりげなくやってほしい。演技はさりげないのに、なぜあのような描写はさりげなくできないのか)、一方で金のやり取りがあまりに慎ましすぎたり(普段は感情を抑えているのだから、金のやり取りを露骨にやって出世主義には抗いきれない現実の厳しさを際立たせたほうが良かったのではないだろうか)、登場人物の描き方以外の点も気になることが多かった。

ここまでダラダラと書いてきたが、あくまで自分なりの原作の解釈と本作の制作陣の解釈が合わなかったに過ぎない。つまりは、好みの問題なのである。他に原作を好きで本作を観ている方がいたら何を思うのか気になるところである。
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