chunkymonkey

カールじいさんの空飛ぶ家のchunkymonkeyのネタバレレビュー・内容・結末

カールじいさんの空飛ぶ家(2009年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

カールじいさんの「ミッション・インポッシブル」は、思わず涙こぼれるほっこりアニメ。そんな本作のメッセージは多様な家族の形の受容?いや、それとも伝統的家族像の押し付け?徹底解剖してみよう😊ちなみに原題は「UP」。ディズニーお馴染みの邦題になるとタイトルが長くなる魔法が掛かっていますね😅以降、物語終盤のシーンに関する説明が含まれるため、ネタバレが気になる方はご注意ください。

カールじいさんと亡き妻エリーは、子供のいない夫婦でした。そうした夫婦が選ぶ3つの選択肢が、「冒険」になぞらえて提示されているのが本作の最大の特徴ですが、そもそも論として子供ができない理由とは?

一つは、不妊症ですね。本作でも、夫婦の若き日々の描写で病院の診察室にて涙を流すエリーが描かれています。また、風船売りであるカールじいさんの風船の説明「風船はすぐにヘリウムが抜けてダメになってしまうから急がないと」&風船の形状は、男性不妊を暗示していることがわかります。不妊治療、代理出産、養子縁組にしても多額の費用がかかることから、家族をもつという「冒険」のために、カールじいさん夫婦が必死に貯金しながらも、アクシデントで結局切り崩すことになっているのもとてもリアルです。

もう一つは、LGBTQ+のカップル。エリーの子供時代の描写が、短髪・恰幅よく男勝りでステレオタイプ的なbutch(男っぽい女性、レズ)として描かれています。また、南米で出会う鳥は、子供がいるメスですが、男性の名前であるケヴィンと呼ばれてラッセルに懐き、sheやheは決して使われず、ケヴィンという名前かitが使われています。

まあ原因が何であれ、子供ができないのは仕方がない。でも重要なのはその後の生き方✨一般的には「夫婦の時間を楽しむ」「養子を迎える」「ペットを子供代わりに可愛がる」の3つに大別されますが、これが本作でとても上手に夫婦の夢見る"冒険"に表れています。

妻エリーを亡くした後、エリーに冒険日記を託され、(子供を持つという)冒険が叶わなかったと考えたカールは、妻の遺志を継ぐべく風船を付けた家で空を飛び、冒険の目的地へ向かいます。その冒険へ出る瞬間がそれまでと異なるのは、男の子ラッセルが家にいることです。その後、ラッセルの両親は離婚しており、父が不在で悲しんでいることがわかり、カールじいさんが父親代わりでめでたしめでたし。

一方で、本作は子供のいない夫婦の生き方も否定をしていません。前述のようにカールじいさんは、冒険とは子供を持つことだと考えていたのですが、物語後半、カールじいさんが(子供が持てなかったため)白紙だと思っていた冒険日記に妻が記録していたのは、カールじいさんと二人きりの幸せな日々。そう、妻はもう素敵な冒険を楽しんで天国へ旅立ったのです。このシーンは、ホント涙なしでは観られませんね😿

その日記の最後には、エリーからカールじいさんへの遺言として「今度はあなた自身の新しい冒険に出てね」。冒険の目的地に到着したのに意気消沈していたカールじいさんはこの言葉を読んだ瞬間に、自分自身の冒険をするべく、再び家を操縦します。この第二の冒険への家の旅立ちの瞬間に家にくっついてきたのは、犬のダグでした。これが、最後の選択肢「ペットを子供代わりに可愛がる」です。

では、本作は多様な家族の形を支持した映画なのでしょうか?そうは単純に割り切れないのが、本作の面白い?というよりは少し困惑させられてしまうところです。本作で大きな批判を受けたのが、カールじいさんとラッセルの、父親とテントに関するやり取りなんよ。テントの組み立てができないラッセルに対し、カールじいさんは「父親に教えてもらわなかったのか?」と吐き捨てるように言い、その後ラッセルの両親が離婚し、父不在であることを知ると突然ラッセルにひどく同情し、ラストシーンでは父親代わりとして表彰式のステージに立ちます。

ん?なんだかいろいろ疑問が湧いてくるぞ。そもそも、母親がテントを教えるという発想はカールじいさんにないわけ?エリーはテント組み立てられたよね、あ、あれはレズだったか... つまり、子供が持てる本物の女性・母親というのは、女らしくテントの組み立ては教えられない(そうでないエリーに子供はできない)。だから子供には男性と女性の両親が必要だってか?最後のステージも、なんで壇上に母が上がらないの?女性は絶対に父の役目は務まらないと言いたいのでしょうか?父不在はそんなに気の毒?

まあ、多分製作者はそんなつもりはなかったと思うんよ。この部分は、子供が自然に持てなかった夫婦の「血のつながりのない子供と親子関係になる」ということの象徴として、不在の父親代わりにカールじいさんがなるということを強調した結果のはず。つまり、この多様な家族の形を冒険になぞらえ間接的に描いたことで、逆に伝統的家族観の押し付けとも解釈できる描写になってしまったというわけ。そう考えると、なぜ最近のディズニーが"間接的な"多様性の描写をやめて、より直接的に多様性を描写するようになったかも理解できます。まあそれはそれで「押し付けだ」と文句が出るわけですが... 観客ってわがままです😑

皆様のレビューを読むと、大人向け、とか子供には少し難しいなどの記載が目立ちますが、だからこそ本作鑑賞後に家族の在り方について、親子で一緒に話をするとよいかもしれませんね😊にしても、カールじいさんのミッション・インポッシブルぶりには、トム・クルーズも完敗では?シニア・パワーは侮れません👍あ、トムもいい加減シニアか。若者も頑張りましょう!
chunkymonkey

chunkymonkey