“Shut Up Crime!”
ドラッグ密売人に奪われた妻を奪還すべく“お手製のコスチューム”でヒーローに変身した中年男の騒動を描いた物語。
ジェームズ・ガン監督のブラックコメディです。
この作品、色んな意味でぶっ飛んでいて魅力的なんですよ。
まず、主人公フランクがヒーローになろうと決断するシーンからイカれてます。
神の手がおりてきてぷにぷにと“脳みそ”を触るんです。そう神の啓示なんですね。フランクの勝手な妄想なんですけど、これはたちが悪いですよー。
神の啓示を受けたフランクは真っ赤なコスチュームに身を包み「クリムゾンボルト」となり犯罪の撲滅運動として街の小悪党たちに制裁を加えだします。
モンキーレンチでボコボコに殴ります、しかも、不意打ちです。
ここで、フランクが制裁を加えた理由を振り返ってみましょう。
麻薬の売人
少年を買春した男
引ったくり
行列に横入りした男!
ここまでくると明らかに行き過ぎた自警です。これでは、どちらが悪いか観ている(観客)は分からなくなってきます。
フランクは危険人物扱いを受ける様になります、そりゃそうだ、笑。
しかし、そんなフランクにサイドキックが加わります。リビーという女の子、彼女は輪をかけてイカれています。
この2人似ている様で大きな違いがあるように思えます。
フランクが「正義の執行」であるのに対してリビーは「快楽」を追求している。
ざっと、ここまで
あとはクライマックスに向かって行きます。
ジェームズ・ガン監督は何を風刺しているんでしょう。
リビーが「ヒーローが殺しをしちゃダメなんて知らなかった」と言う場面があります。
そう、この2人は神の啓示を受けたとか正義の名の下にとかそれっぽい大義名分で自己正当化しているのだけれど、元も子もないですが、実はやっている事は「狂人」と変わらないんですよね。
では、「ヒーロー」と「狂人」の違いは何か?暴力行為を正当化しているのはどちらも同じじゃないのか?
コスチュームを着ていたら免罪符になる?ヒーローを名乗っていたらセーフなの?
と、改めて「ヒーローの存在意義」や「ヒーローとは何か」と考えさせられます…。
ジェームズ・ガン監督が巧みなブラックジョークでこちらの倫理感をぐちゃぐちゃにしながらその事を問うている作品ではないかと思いましたね。
エレン・ペイジ(当時)のぶっ飛んだ演技は必見です。