レインウォッチャー

血のバレンタインのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

血のバレンタイン(1981年製作の映画)
2.5
マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。

通称マイブラといえば、音楽好きなら一度は名前を耳にしたことがあるかもしれないバンド。'91年に残したアルバム『ラヴレス』の影響度は多大で、シューゲイザー(観客のほうを向かず足元を見て黙々と演奏する)という言葉を生み出した。

彼らの音楽性は、怒涛のノイズ+甘美なメロディ、というムチとアメ戦法である。
霧か海のように、もはや粒をなくすほどの轟音となったギターの渦の中からうっすら浮かび上がる妖しいささやきが、90年代以降のネオサイケデリア、つまり「トびかた」を方向付けた。
乱暴に言ってしまえば、ギターがキラキラしててフワフワ歌ってるバンドはみんなマイブラの孫といえる。日本だとSUPERCARとか、最近では羊文学なんかもそのライン上に乗っているだろう。

毎度のごとく前置きが長くなったけれど、何を隠そうそのマイブラがバンド名の元ネタとしたといわれるのがこの映画である。
ところが、この「リア充絶許仮面」が田舎の炭鉱町を荒らすだけのB級スプラッタ映画と、上記のような音楽は一見結びつきにくい。

しかしあらためて観てみれば、今作はむごたらしいほどの「ノイズだらけ」であることに気づく。
・伏線は後出しだぞ!
・警察はただ居るだけだぞ!
・ていうかもう後半はバレンタイン関係ないぞ!
等々。

そう、この映画はノイズの海。そこに見つかる少しの甘いメロディが、まさにバンドのマイブラそのも…の…

…メロディどこいった。
肝心の甘い・美味しい部分がゼロである。あかんがな。

ここではっと記憶が蘇ったのだけれど、わたしは一度だけ復活後のマイブラのライヴを観る機会に恵まれた。
その体験を一言で表すと、「耳の耐久度テスト」だった。ズゴォーという轟音に呑まれて以降、記憶がない。

思い出した…ライヴの彼らは純然たるノイズの化身だった。
そうか、やはりこの映画は正しく生のマイ・(耳が)ブラッディ・ヴァレンタインだったのだ。解決。

あえていうなら殺し方大喜利はなかなか独創的で、何度かIPPONをとっていたと思う。
ただ、今Wikiを読んでいたら「劇場公開当時、本国カナダとアメリカでは残酷シーンをカットして公開」とか書いてあるではないか。

そんなの、なけなしのハンバーガーからピクルスと肉とパンを抜くようなものだ。それこそ残酷な所業だなあ。