綾

ストーカーの綾のネタバレレビュー・内容・結末

ストーカー(1979年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

こんなんぎゅっとしたら1時間くらいに収まるんちゃうん…なんて思っていたけれど、ラスト30分、ああ、なんとなくこんなことが言いたいんかも…って見えてきた気がして、急に面白くなった。言葉や思想に引き込まれて、沢山メモした。
わたしが映像美を見出す力に秀でていないせいもあってか、言葉を哲学を「読む」映画だった。

わたしが「部屋」に入るなら、何を願うやろう。そんなことをずっと考えながら観ていて。愛犬の長生きかなあって、思うんやけど、なぜか違和感も感じて。「自分が何を望んでいるのか、何を望んでいないのかすら分かりません」に共感した。

だから、終盤のジカブラスの話が図星のようでぞっとした。ああ、違和感の正体はまさにこれやったんや…って。叶ってしまった願いに、「自分の本性を突きつけられ、良心や心の痛みは己の本質ではないと悟り、彼は首を吊った」。

ああ、わかる… わたしも、「部屋」に入る勇気なんてきっとない。愛犬の長生きは、たしかに何より切実な願いやけれど、でも… わからん。自信がない。それこそ大金が、叶ってしまうのかもしれない。すごく怖い。無意識の望み。

「やわらかさと弱さはみずみずしさの表れだ。堅くなったものは勝つことがない」

ゾーンの描写にチェルノブイリを思い起こして、やっぱりどこかモデルになってる部分もあるんやろなあと思っていたから、事故の方が後やと知ってびっくりした。

「世間に希望は残されていません。ここだけが、希望を抱ける場所なのです」

「個々の人間の愛や憎しみ」は、「世界を変えられはしない」。本当にそうやろか… 妙に考え込んでしまった。たった一人の愛が世界を救うことだってある!みたいな、希望にあふれたことが言いたいわけじゃなくて。負のエネルギーとしても、個々の望みや願いは、侮ってはいけない気がする。それともみんな、蓋を開ければ目先の物質的欲望にからめとられるんやろか… うーん…

ラストのストーカーの台詞と娘の超能力を目の当たりにして、途端にいろんなことが分からなくなった。せっかく掴みかけていたのに、あれ…? この映画は何を伝えてたんや…? って、急に自信がなくなった。キリストの荊冠めいたカットにハッとしたり。思ってた以上に宗教や信仰のお話やったのか…?
ストーカーの言葉は、なにか高次元の存在が(それを神やその使いと呼んでもいいのかもしれない)地球を、地球人を憂う言葉に聴こえた。

ゾーンでは後戻りはゆるされない、遠回りこそ近道になる、真に絶望した人だけが「部屋」にたどり着ける… 何が、とは明確に言葉にできないけれど、ものすごく示唆的やなあって。生きるという意味でも、宗教的な文脈でも。

でもやっぱり、まだまだ分からんことだらけ。はー、数年後に再挑戦したい映画がまた増えた。
綾