じぇいらふ

群盗、第七章のじぇいらふのレビュー・感想・評価

群盗、第七章(1996年製作の映画)
4.2
オタール・イオセリアーニ監督作品を観れたら観るシリーズ🇬🇪

ジョージア🇬🇪の巨匠オタール・イオセリアーニ映画祭。日替わりでなかなか観れずこれが2作目。とりあえず時間空いた時に飛び込む。作品選べず題名がなんともつまんなそう、、、いや、これは面白かった👍👍👍👍

🎞️ある試写室。おっさんたちが集まり上映がはじまる。作品は、、、半裸の男女の乱痴気騒ぎのなか、少年が銃を乱射して皆殺し?!~はじまり

📖ジョージアの歴史を中世、現代、共産党独裁時代と前後に飛び交いながら、人間がいつの時代でも繰り返し行う愚かな過ちをユーモア交えて語り尽くす摩訶不思議歴史ドタバタ活劇。。。ストーリーよくわかりません笑。何が7章なのかも?わかりません笑

多分この作品で引用されてる歴史上の登場人物やら場面やらは、ジョージアとしては結構有名な逸話なんだろうと思いますが、ひとつもわからない。しかし前回イオセリアーニ作品観たときもも感じましたが、あまりストーリーをしっかり掴まなくても結構楽しめます。

同じ役者が、ある場面では王様→浮浪者→共産党員等々くるくる変わります。髭おっさんが主役ですが、なんだかグルーチョ・マルクスっぽい男=アミラン・アミラナシヴィリ。彼がどの役をやっていてもなんだかんだ周りに翻弄されて右往左往する様は、なんだか滑稽で悲しみ。
女優さんがみんな綺麗ですが、王妃やら共産党員やら出てくるヒロイン?がとりわけクールでお美しい=ニノ・オルジョニキゼ、、、ジョージアの俳優さん名前読みにくい😅

相変わらず突き放した引きの画面で、セリフも少なく滑稽なドタバタが繰り広げられるのはこの作家のスタイルらしい。この作品も場面場面がそれぞれドタバタとオチがあって、脈絡なく次の時代の場面に切り替わる。だから理解が出来ずに置いてかれても、とりあえず次を観ればあんまし問題ないというスタイルはとてもユニークでおもしろい。こういう断片だけ楽しめればそれでOKな感じは、ある意味ゴダールっぽいかも。歴史がパッチワークでコント集みたいになるのはブニュエルぽい。

共産党員達が人の家を強奪して勝手に住み込むずうずうしい場面、時代が変わって、別の人が入れ替わる場面等々、共産党独裁時代の強い批判と皮肉あります。

最後は最初の試写会場面に戻る。壮大な歴史も所詮は映画、フィクションですよという皮肉。そして。。。男が自分は何度もいろんな時代で同じ女性とであったのでは??的なメタ展開の中、彼女に話しかけてみたところ。。。ここの彼女の返し最高です🤣👍笑

結局時間がなくて、全然観れなかったオタール・イオセリアーニ作品。配信とかあったらちゃんと埋め合わせして観てみたい。まだまだ知らないユニークな作家がいるもんですな✨